牧歌組合~45歳からの海外ミュージシャン生活:世界ツアーに向けて~ -3ページ目

45歳からの海外音楽活動【連載2】タンゴ、不屈の民、共依存、多摩蘭坂、鴨川

【連載2】タンゴ、不屈の民、共依存、多摩蘭坂、鴨川
エヘン。ミュージシャンとしての僕のささやかな自慢のひとつが、フランク・ザッパやポリス(スティングとアンディ・ソマーズ、サマーズじゃなくてソマーズ。スティーヴ・ウィンウッドじゃなくて、スティーヴィー・ウィンウッド!。。。どうでもいいが、、)と同じステージを踏んだことがある、ということ。そこは京都大学の西部講堂。東大を中退しコントラバスを手にした21歳の僕が最初に参加したバンド、オルケスタ・デル・ビエント(Orquesta del Viento)で、1990年12月31日、僕はたった一回だけそのステージで演奏した。エッヘン。

24年ごしのスマン。中高時代の友人(と愛すべき弟)が大挙してきてくれたというのに、僕はその夜、知り合って一ヶ月くらいの元妻に告白する言葉で頭がいっぱい。彼女しか見えない。僕の最大の欠点はいつもこれ。好きになったものしか見えなくなってしまう。そして、好きになった対象に、もたれかかり、依存し、多大な期待とプレッシャーとストレスをかけてしまう。その過度な依存が、相手にとっての恐怖へと変わって行く。そしてうざい、キモい、バカと思われ、結果、友達ではなくなる。「心ここにあらず」とヒトからは見える。実際、そこまで没頭、夢中になってしまう。岡本が指摘するように、いつもこれで失敗する。大竹が指摘するようにそこまで”ひたむき”になる。ベルリンのパッペルアレーで起こったことも、多分同じ。だから、トンボかバッタの眼が欲しい。仮面ライダーかカフカの昆虫に変身したい。多分、僕は「好き」をよくわかっていない。「好きであること」を勉強しなければならない。

さて、僕は「一生、俺とタンゴを踊ってくれないか?」と、鴨川で彼女に尋ねた。「は????。。。ああ、。。。。。。ええよ」と頷いてくれた彼女と一緒に、習ってもいないタンゴを二人で鴨川で踊った。結構しつこく約一時間、ピアソラの「ルンファルド」とJAGATARAの「タンゴ」を口三味線で歌いながら。僕らはその後、むっちゃ寒い西部講堂の楽屋で、薄っぺらく臭い布団のなかで抱き合って寝て、それから約20年の夫婦生活を、RCサクセションの「多摩蘭坂」がテーマ曲、「おおかみこどものあめとゆき」がテーマ映像である東京・国立で送ることになる。そして、それから彼女とタンゴを踊ることは二度と無かった。2011年10月、彼女と別れたとき彼女は言った。「私たち、お互いに共依存だったと思う」。もたれ合わないこと、孤独であることとタンゴを踊ることを、死ぬまで僕(ら)は勉強しなければならないのだろう。

2年経て、2013年10月。タンゴを演奏するために、「Bitte! Bitte! Bitte! Bitte!(どうか!、お願い!、まじで!、何卒!)」とそのとき僕は、ものすごい形相で必死に言っていたと、バンド仲間のギタリスト、ガブリエルはその後よく笑い話にする。ベルリンで5時間ぶっ続けで泣いた翌日、アルゼンチンタンゴバンドに参加することになった、プレンツラウアーベルクのカフェ・リリックでの話。

ずっとタンゴを演奏したかった。

僕にコントラバスを教えてくれた二人の日本人の師匠も、アルゼンチンタンゴを演奏していた。最初に習った斉藤徹さん。斉藤さんは1990年ごろピアソラの楽曲を2機のコントラバス、ギター、パーカッション or ピアニカの構成で録音した。このラフミックス・テープをベースを始めたとき、擦り切れるほど聴いた。斉藤さんは「上手くなるために、バッハの『G線上のアリア』を1万回弾け」と教えてくれた。また、自ら採譜したピアソラの「フーガと神秘」、「キチョ」、「ルンファルド」などの譜面をくれた。これらの楽曲は僕の毎日の練習曲となった。サラリーマン時代もその練習を(ほぼ)欠かしたことは無い。それから、約25年間練習して、毎日最低1度は「G線上のアリア」を弾いているとして、もう通算、毎日1回×365日×25年=9125回は弾いたことになる。あと875回弾けば、もしかしたら僕は上手くなるのかもしれない。まだまだ。でももう少し。だから離婚、失恋だとか、何かあったくらいで死ぬわけにはいかない。最低3年は僕は生きなければならないのである。そして、斉藤さんに教わってから、トロイロ楽団とピアソラのバンドで演奏したキチョ・ディアスが、僕にとってのベースのヒーローになった。今だにそうだ。

そして、日本の誇るべきバンドネオン奏者、小松亮太氏を輩出したタンゴ・クリスタルのコントラバス奏者、故・松永孝義さん。彼は日本のレゲエ、ダブバンドの草分け的存在であるミュートビートのベーシストとして著名だが、ずっとタンゴを演奏していた。彼にレッスンを受けていたあいだ、僕はよくキチョ・ディアスのフレーズを真似して弾いてみて「こんな感じですかね??」としつこく訊いていた。「違う違う、もっと音が出ているか出てないか分からないような、鋭く短いやつじゃないと」と、師匠は気合いたっぷりのお手本を見せてくれた。彼らから教わったことに対して、僕は永遠に感謝し、常に敬意を払う。これだけは。神に誓って。

オルケスタ・デル・ビエント(Orquesta del Viento)は、CDも出ています。スペイン語で「風の楽団」の意味。1980年代に活動したテント劇団「風の旅団」の楽団で、サックス奏者、故・篠田昌已さんや、大熊ワタルさん、元INUのギタリスト、小間慶大さん、栗コーダーカルテットなどの関島岳郎さんが参加していた。音楽をわかっていない僕は彼らから、アレンジの仕方、耳コピの仕方、バンドの進め方、ステージでの振る舞い、スタッフへの気配りと礼儀、音楽の聴き方など、音楽に必要なことをほぼ全て教えてもらった。そのバンドに参加することになったときも、多分、ガブリエルが茶化して真似するような、「Bitte! Bitte! Bitte! Bitte!(どうか!、お願い!、まじで!、何卒!)」ものすごい形相を僕はしていたのだろう。だから、異性にいつもキモい、バカと思われるのだ、僕は。人間、25年経っても、多分変わらない。悲しいかな。人間、負のキャラクターを捨てることはできない。

このバンドで僕はピアソラの「ビオレンタンゴ(Violentango)」を編曲し、京都大学西部講堂で演奏した。また、風の旅団の団歌は、セルヒオ・オルテガ作曲、キラパジュン作詞の「不屈の民(¡El pueblo unido, jamás será vencido!、団結した人民は決して敗れない!)」だった。1990年に一度、音響効果担当としてこの劇団のツアーに同行したときは、毎晩この歌を歌っていたから、マジで身に染み付いた曲のひとつになってしまった。また、オルケスタ・デル・ビエントの同僚で師匠の故・篠田さんはビクトル・ハラの「耕す者の祈り(Plegaria un labrador)」をレパートリーとしていた。コントラバスのソロ演奏を僕は何度か行ったことがあるが、そこではピアソラの「家族」、「フーガと神秘」、「キチョ」をレパートリーにしていた。僕はその後、「牧歌組合」というバンドを結成し、1990年代そこで自分で作詞作曲した曲を演奏することになるのだが、そのバンドでもビクトル・ハラの「リクエルド・アマンダ」をレパートリーにしていたし、自作の曲でよくピアソラのフレーズをパクっていた。また、2011年から参加したフォーク・バンド、「こころば」はフェアポート・コンヴェンションがケルト音楽に対して行ったように、”日本の民謡を現代化する”試みを行っていたのだが、ここでは「会津磐梯山」をタンゴにして演奏した。

日本で参加したバンドでこれらのラテンアメリカの楽曲を演奏した、という話をアルゼンチン人含めラテンアメリカ出身のヒトにすると、「おいおい、マサ、お前(ら、日本人)は本当にロコ(気違い)だな!」という、非常に暖かい反応が戻ってきて、友達になりやすい。僕はいつも、出会ったヒトたちから、その後の人生で有意義にフラッシュバックできる、大切な何かをもらっていると、つくづく思う。ありがとう。

しかし、タンゴの音楽の深さを、ガブリエルやドウナ、バンドネオン奏者タトーたちと演奏していくにつれ、そしてそこで拡がった人間関係のなかで、僕は身にしみて学んで行くことになる。音楽をわかっていない僕は、いつも勉強しなければならない。そして、勉強は楽しい。人生は闘うから価値がある。
(つづく)






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45歳からの海外音楽活動【連載1】バンドメンバーとの出会い

【連載1】バンドメンバーとの出会い

今のバンド仲間と出会ったのは、2013年10月のある日、ドイツ・ベルリンで、5時間ぶっ続けで泣いた夜の翌日、プレンツラウアーベルクのカフェ・リリックでのことだった。

同時住んでいたパッペルアレーのアパートで、ひとり布団の中で、ただただ5時間声をあげて泣き続けた。一枚の壁を隔てて住んでいた彼女から届いたメールを眺めながら。長文のドイツ語で、「おそらくこの言葉を、他人から言われたら最悪だ、存在の全否定だ、僕は自殺するかもしれない」と思っていた言葉が、ほぼほぼ、すべて書かれていた。もし、ヒトの心が心臓なのだとしたら、既に傷つき、10本以上の矢が刺され、膿みと血しぶきが吹き出している箇所めがけて、さらに執拗に焼き鏝を叩き込んでくるような言葉の群。文法構造の美しさを誇るドイツ語は、こんなとき本当に残酷な言語であると思った。「krass」「totaler böse」「vielleicht Freunde」。文脈にもよるが、日本語にするとしたら「キモい」「あんた、マジで馬鹿」「友達じゃない」という言葉。まさかこんな言葉が彼女の口から僕に対して出てくるとは、300%思っていなかった。

2011年末、僕は離婚して家族を失った。その後、あるベルリン在住の女性ミュージシャンの音楽を知った。彼女の音楽は孤独な僕の心境を癒してくれた。彼女が憧れとなった。2012年の春、ベルリンに旅行して、彼女と知り合うことになった。その年の冬、僕はベルリンに住み始めた。2013年の夏、彼女から「隣の部屋が空いたから住まない?」という知らせがあり、僕はそこに引っ越した。ほぼ毎日、彼女の子供たちに絵本を読聞かせしたり、寿司やソーメンを御馳走したり、楽しい時間を過ごした。僕は人生のゴールに着いたかもしれないと思っていた。ソレ以外の人間関係は全て捨ててもよかった。ある日、彼女に恋していたことを打ち明けた。そのあと、彼女は明らかに僕を避けるようになった。そのあとに届いた彼女からのメール。

僕は、「何かそれ以上の関係」を求めたわけではないつもりだった。そもそもそんなことは無理だと思っていた。「親切なお隣の日本人」の距離感のままで、毎夕方、仕事の後に「Masataka保育園」を運営して、この幸せな時間が過ぎて行けばいいと思っていた。でも、そうとは受け止めてもらえなかった。ものすごい寂しさを感じて、僕は泣き続けた。ベルリンに住むと決めてから、一生懸命勉強したドイツ語。自分の心を破壊するような、これらの言葉を理解するためだけに、ドイツ語を勉強してきたのかと感じた。彼女が来日したときに頑張ってご馳走した一人1万円以上の懐石料理、ベルリンでやった寿司パーティー、ソーメン料理講座、彼女の子供たちへのプレゼント、果たされなかったいくつかの彼女との約束。自分として大切にしていた思い出と希望が全て、あっけなく1つのボタンで一瞬でdeleteされていくような感じだった。僕は、憧れていたヒトにただただ嫌われるために、ここにノコノコやってきたのだ。本当にキモくて、馬鹿で、最低だ。誰にもこの話は出来ないと思った。

だが。しかし。5時間泣き続けていると、なんだか「これも別に悪くはないなあ」と感じる自分がいた。思えば、5時間も一人で45歳の男性が、泣き続けられるシチュエーションって、そうざらに転がっているわけではない。「この貴重な経験をするために、僕はベルリンに来たのかもしれない」と考えると、別にそれでもいいと思った。その運命を静かに受け止めるしかないと思った。この痛んだ心と一緒に生きて行くしかないと思った。その夜は、久々に熟睡することができた。

自宅でプログラマとしての仕事をしているが、次の日もプログラミングしている最中、何度か涙がボロボロと流れ落ちた。外に仕事に出かけていると、絶対に泣きながら仕事はできないだろう。僕は、はじめて、フリーランスとして自宅勤務で仕事させていただけていることに、心から感謝した。


夜、ドイツ語語学学校の友達、ロシア人のアントンとカフェ・リリックに行く約束だった。そのカフェでは、フランスのシャンソン、クレツマー音楽、ジプシー・ジャズ、ギリシャ音楽、そしてアルゼンチン・タンゴなど、所謂ワールドミュージックを演奏するミュージシャン、バンドのライブが毎日行われている。その日は、アルゼンチン・タンゴを演奏する「トリオ・コラソン・デ・タンゴ」(タンゴの心、の意味)の演奏が行われた。

ガブリエルのギター、アナラウラのフルートとドウナの歌。3人のメンバー全員がタンゴの本場、アルゼンチン出身。ガブリエルとドウナは25年間ベルリンに在住し、様々なコンサートホール、ダンスホール、ライブハウスでタンゴを演奏してきていた。ガブリエルのギターから、次から次へと繰り出されてくるタンゴの熱すぎるリズムが、痛んだ僕の心に力を吹き込んでくれるようだった。ハスキーヴォイスのドウナのヴォーカルと、アナラウラの美しいフルートの音色は、タンゴの歌詞に描かれた”痛んだ心”を、美しいカタルシスへと昇華していくようだった。

コンサートが終わったあと、僕はガブリエルとドウナに、ものすごく感動したこと、コントラバスを弾いていること、日本でタンゴを演奏していたコントラバス奏者からタンゴの奏法を習ったことがあること、タンゴバンドでベースが弾ければそれ以上の幸せは無いこと、を猛烈にアピールした。ピアソラ、プグリエーセを中心に、いくつかのタンゴの曲を弾いたことがあることを、ベースラインを歌いながら、エア・ベースを演奏しながら、アピールした。

そしてその日、僕は、ガブリエルが結成したいと考えていたタンゴバンドにコントラバス奏者として参加することになった。
(つづく)






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「おおかみこどもの雨と雪」と”くにたち”、不在の”父”とぼく

 先週みた。涙が止まらなかった。


 近しい他人との関係、家族との関係、”自分”を見つめなおす素晴らしい映画。


 冒頭、狼男と”母”の出会いの舞台として国立(主人公たちの住所上は国分寺でくにたち北口住まい)の風景が描かれる。個人的にこの時点で完全にノックアウト、ダメ。涙が止まらなくなった。僕が、約20年前に妻と同棲をはじめたころの風景。若い男女なら当然のことかもしれない、「幸せ」と未来への「不安」が、一定の間隔で感情をまどわせ心を揺さぶり、お互いの体温を感ずることでしか将来への不安を解消できなかった時間が描かれる。その時間を過ごした風景、国立の街並み。”白十字”のカフェ。産まれた子供のため苦心して生きる生活。そのなかで消えてしまう”父”。



 ”母”の苦労。



 不在となる”父=おおかみおとこ”は、「おおかみおとこ」に限定した問題なんかじゃない。ピンクレディーの「男=おおかみおとこ」論だけではなく、この映画は「男であることの存在の意味」や「男として生きていくこと」、「父」という存在が何であるか? を見事に語っている。心に刺さる。


 ”母”の苦労は”父”がレアな「おおかみおとこ」であったことによるものでなく、そこらへんに存在し偏在する”男性”すべてがそうである、という抽象化によって初めて、ヒトの心を揺さぶる物語に昇華する。父殺しの『オイディプス』が神話化するのと同様に。



 逆に”母”の苦労も普遍だ。非常に経済的で、効率的で、ザッハリヒカイトで、緊縮財政家で、賢い”母”の生きる姿。現実を客観的にとらえ、ひきこもりとなろうと、冒険しようと、子供の生きる道に関する心配を瞬時にして捨て去って、受け容れる母。


 すべての女性の美しさが見事に描かれている。


 そうだ。例外にもれず、たぶん、僕は妻に対して、同様の苦心を、孤独を、プレッシャーをかけてきた。妻だけではなく、他者すべてに対してかもしれない。


 他者とは何であるか?
 孤独とは何か? 
 孤独に酔う姿勢とは何であるか? 
 他者を傷つけるということはどういう行為であるのか?
 傷を癒すために必要な時間はどのくらいなのか?
 自分の何を隠し、何を大切なヒトとの秘密にして、距離をとるのか?



 いろいろ考えさせられる素晴しい映画だ。


Takayoshi Matsunaga taught me these things

Japanese great bass player Takayoshi Matsunaga died (age 54) on July 12th, 2012.

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He is my teacher of bass, so I wrote an article below "Takayoshi Matsunaga taught me these things". I'll translate it into English.
http://www.barks.jp/news/?id=1000081470



> Takayoshi Matsunaga taught me these things

I'm now not a professional musician, work as an engineer or a writer, etc. But I've learnt how to play the contrabass from Takayoshi Mastunaga. And he taught it only for me in Japan. When I quit the university and wanted to live as a bass player, I met with him through the connection with the sister of Masami Shinoda(Japanese sax player of JAGATARA etc). And I learned "how to play contrabass" from Takayoshi.


So many technics I've learnt from him.
"Get centered on the one point of bowing."
"Never your left hand form be like a viper."
"If you returns the bowing, but be careful like nobody hears it."


Takayoshi Matsunaga's view about music was very scientific and intelligent. Legendary Japanese DUB band "Mute Beat"'s sound is not created from the "stoned feeelings". But it from the scientific views.

The summary I've learnt from Takayoshi was below.


===============================================


Something in your mind and body blocks your grooving.
You must put them off.
To do it, do the basic trainings.
The basic trainings makes the "white paper" of you.
Grooving is not the godsent gift.


If you believe "the godsent gift",
We Japanese cannot create the groovy rhythm eternally!
The Groove is a color.
If the groove belongs to Tango, Reggae, or Funk, etc..
it's just one color.


If you want to paint the color
you should make the "white paper" of you.
If "white paper" doesn't exist, you can not paint the colors.
So, you cannot groove.


If you want to goove
you should sing every time of your life.
You should sing the bass lines even if it's around midnight.
Your voice from your bottom of the mind will be a good bassline and a good groove.


Even if you cannot live only as a professional musician (to grow up your children)
and left from the musician's life,
You must sing the line from your bottom of your mind
only for 10 minutes everyday till you die.


Maybe, we'll live a life feeling like that,
"I want to draw it, but I cannot draw it."
and we'll wet the pillow with our tears.


===============================================


Takayoshi adviced for me that "You have a brain to create a software", so I quit the professional bass player and worked as an engineer. But always he has been my teacher and met him on some regular basis. My teacher's method was a good method as a worker.


I and my teacher(Takayoshi) like the same tastes of sound like Robert Wyatt, the Meters, Astor Piazolla, Bonnie Koloc, and so on, when I found the favorite music I always send them to him.
This year's spring(2012), I sent him Julia Guther and Masha Qrella's album to him, he said "It's so nice!!" , I felt happy.


My teacher died when I dreamed the booking Masha Qrella with Takayoshi Matsunaga concert to see the "white paper" grooving at the today that feels like "just grey in grey and god seems mortal". Maybe I think Georg Wilhelm Friedrich Hegel and Jean-Luc Godard want to see the concert.


I respect Takayoshi Matsunaga from the bottom of my heart.
I pray sincerely for the repose of his soul.


for my teacher: Masataka Koduka


雅楽の越天楽と3.11の震災@檜町公園











 あれから一年である。

 僕が、東京ミッドタウンの裏の檜町公園で、ひしめく人の群れのなかで、龍笛で越天楽を吹いた日から、ちょうど一年である。

 その日、寸前まで会議をしていた。当時担当していた新規開発予定のインターネット広告システムの基盤設計の話だったと思う。Web業界にありがちな話で、ネットワーク設計やデータベース設計を行いハードウェア投資寸前のフェーズとなっていても、「どのくらいのリクエストが実際に来るのか?」「どのくらいのレイテンシ(リクエストへの応答時間)が求められるのか?」
いまだに明確になっていない。「なぜなっていないのですか?」とインフラチームのY氏らに詰め寄られながら、自分としては他人(ビジネス側や企画側)のせいにしたい心でやまやまなのであるが、システム基盤のリーダーであるから我慢、
それらのシステム要件を彫り起こせなかった自分を責め、ひたすら「すみません、すみません、でも、今明らかになっているレガシーシステムのログや、手持ちの材料から無理やりシステム要件を掘り起こして進める以外に手はない!」と、半ば泣きべそで強弁していた記憶がある。
孤立無援な立場のなかで、一生懸命助けてくれた当時の仕事仲間、Fさんの「この先どうなるんだろう?}という表情をいまだに記憶している。

 その苦々しい会議が終わって、その日退職するYくんの退職挨拶を聞きに行こうとすると、東京ミッドタウンがグラグラと揺れた。鉄骨の軋む音が不気味に「ぎーし、ぎーーーし」と聞こえる。
地に足が着いてる感触がない。空中に浮かんでいるみたいだ、飛行船とかに乗って。正直、ここで死ぬのか、と思った。
「檜町公園に退避せよ」という館内放送が流れて、僕は、Fさんと派遣のKさんと一階まで降りた。当時ミッドタウンの13Fで仕事していたが、降りるまでに一時間以上かかったと思う。公園は寒かった。

 公園に避難したら、東京ミッドタウンに勤めている全人口がそこに押し寄せていた。1万人くらいいたんじゃないだろうか。ひきめきあう。とにかく人の群れ、人の群れ、心配そうな表情。僕は、FさんとKさんと、その他広告関係の人々の近くにいて、自分のチームのみんなの顔を、その群像のなかに必死で探していた。

 メンバーはどこにいる? 呼びかけようにも声は届かない。どこにいるのかわかない。

 そんな状況のなか、ぼくはいつも持ち歩いていた雅楽の龍笛(横笛)を鳴らして、越天楽(えてんらく)を吹いた。1万人ほどひしめく檜町公園にて。「こんなときに笛を吹いているバカは、あいつしかいない」。結果として、チームメンバーはほぼ全員集合したのであるが、「なぜ、今笛を?」「笛を吹かないで下さいっ!」「非常識だ」という非難もいただいた。いまだに、僕はあのときとった行動をきちんと説明できない。ほぼ、本能に突き動かされて、吹いた。決して受け狙いではない。本当にそうなんだ、信じてくれ。

 なぜ、越天楽を吹いたのか? 越天楽は、「原曲は中国・前漢の皇帝文帝の作品と伝えられている。しかし高祖・劉邦の軍師張良の作曲であるという説や、日本での作曲である説などもあり、実際の所はよくわかっていない。また、現在伝わっている平調越天楽は、旋律が他の唐楽に比べ独特であること等から、原曲ではなく、盤渉調に渡されていた(別の調子に合わせて編曲された)ものを、原曲が絶えたため平調に渡しなおされたものであるともいわれている。」(Wikipediaから引用)らしいが、
文字どおり、「空になにかが昇っていく」イメージの曲。違うかもしれないが。

 なあんとなく、一年前のその出来事を思い出して、今日はギターで越天楽のフレーズを弾いてみた。キーはAマイナーで、4/4拍子。





Music written by 文帝?
Arranged by dukkiedukkie(Masataka Koduka)
Am Eaug D
+ + + + + + + +
e:-5-----5-7-----7-|-----------------|
B:-----5-------5---|-7-------7---5-7-|
G:---5-------5-----|---7---7---7-----|
D:-7-------6-------|-----7-----------|
A:-----------------|-5-------5-------|
E:-----------------|-----------------|
F7 G7 A Em7/G
+ + + + + + + +
e:-5-----5---------|-5-------5-------|
B:-----6---10--8---|-----5---5-------|
G:---5-------7---7-|---6---6-6---0---|
D:-7-------9-------|---------7-------|
A:-----------------|-7-------7-------|
E:-----------------|---------5-------|


 空に昇っていくイメージ、ということで Led Zeppelin の「天国の階段」を意識してみたら、意外と面白い。
雅楽のキー、平調は多分Dマイナーに近かったと思うが、天国の階段に合わせてAマイナーにした。
Im->V->IVといってから、同主調転調してAメジャーのキーになって、bVI7->bVII7のサブドミナントマイナーを挟んで、
Iで落ち着く解釈とした。なんだか、ケルトのダンスミュージックみたいだ。雅楽も多分、ダンスミュージックだろうから。

 その後、帰宅しようと思ったが電車もなく、また、全広告にて震災情報を出したり、ちょっと災害時に似つかわしくない広告が出ているのをMくんや、Oくんと一生懸命止めたりして、その日はミッドタウン泊り。朝方、近所のFTさんと西武新宿線で帰った。

 天国への階段を、震災でお亡くなりになった人々、心傷ついた人々が登れますように。

 

スペースインベーダーのベースラインと、映画「タイム」












 最近、会社でインベーダーゲームが流行している。
流行しているといっても、スペースインベーダーゲーム(c)タイトーを仕事もせず、ちんたらとやっているというわけではなく、
インベーダーと名乗る優秀な同僚の出現によって、にわかに、周囲が、



でその人格を表現したり、インベーダーシールを購入したり… etc,
阿呆なことをしている、というだけなのだが。
 結構やんごとなき家系と、穏やかで知的で冷静な仕事ぶりで大好きな同僚なのであるが。


スペースインベーダーゲーム、名古屋撃ち(thx dora)


 というわけで、今日はスペースインベーダーゲームのベースラインをコピーしてみよう。キーは(おそらく)Bbメジャーで、4/4拍子。





Music written by (maybe) TAITO,
Tabbed by dukkiedukkie(Masataka Koduka)
Bb
+ + + + + + + +
G:-----------------|-----------------|
D:-----------------|-----------------|
A:-1---0-------3---|-1---0-------3---|
E:---------3-------|---------3-------|



コードなのであるが、Bbm(Bフラットマイナー)という解釈も成り立つが、Bbメジャーで行ったほうがいいだろう。70年代ゲームだから、ファンクなのだ。
Bb7という解釈も成り立つ。リズムギターとして




Music written by (maybe) TAITO,
Tabbed by dukkiedukkie(Masataka Koduka)
Bb79
+ + + +
e:-1-111-113--1----|
B:-1-111-111--1----|
G:-1-111-111--1----|
D:-0-000-000--0----|
A:-1-111-111--1----|
E:-----------------|


 というようなJames Brown "Sex Machine"のカッティングパターンを挿入したら、ファンク曲にもなることが理解できるだろう。

あるいは、4拍目をCメジャーと解釈して、Bb->C、つまりII(ドッペルドミナントされたサブドミナント)として、
解釈してもいいだろう。これもスペースインベーダーの時代、70年代ロックなりファンクの常套句だ。


 しかし、しかし、大切なのはこのベースラインを弾くときのタイム感である。
一拍をフルフルに弾いてはならない。4/4拍子で、どんどん速くなっていく、アッチェレランド(thx bill)な中で、アッチェレランドなビジネスというか資本主義社会のなかで、
よしんばtempo=60だとしても、1000msecを一拍に使っていいわけではなく、
アストル・ピアソラなどアルゼンチンタンゴのベースのように4/4拍子でも、一拍1000msec=一秒つかえるとしても、
100msecくらいで弾く!!!!!

 これが熱いのだ!!!!!これが、映画「タイム」(ホンマによかった!)で言っている時間の使いかただ!時間を大切にして生きていこう。本当に一回しかない人生だ。「一日だけでいい」といったタイムの主人公の潔さだ。

 よくわからんが、インベーダーゲームのベースラインは、映画「タイム」と同義である。時間を大切にして生きよう。


このコンテンツは批評目的によるタイトーの音楽の引用が含まれています。音楽の著作権は著作権者に帰するものです。また、個人的耳コピのため音楽的には間違った解釈である可能性もありますが、故意に著作権者の音楽の価値を低めようとするものではありません。】




Rolling Stones "We had it All"











 しかし破滅的な生き方が彼の心臓をとめ、
その年の10月伝説の人となった。
「彼の退場は完璧だった」ともの悲しい真実感をこめて
エルヴィス・コステロが語っている。
パーソンズの残した影響は幅広く、深く、長く続きそうだ
(『ローリング・ストーン・レコードガイド』の「グラム・パーソンズ」章より引用)

 先日、下北沢のレコード屋で、Rolling Stonesの"Some Girls"デラックス版CDを買った。
会社でかけていて「うおおお!」と思わず驚嘆の声を挙げてびっくりしたのが、キース・リチャーズの歌う「We had it All」だ。

 この曲を初めて聴いたのは高校二年生の11月。Bonnie Kolocの"Close Up"というアルバムが最初で、
A面の最後をしっとりとしっとりと締めくくるチョー感動的なテイクに涙したものだった。その後も何度も何度も聴きなおしているが、聴くたびにほとんどの確率で泣ける。
歌詞も、とびきりに切なくて寂しくて、いい。大切な人のことを想って聴きたい曲。


 キース・リチャーズが、カントリー・ロックの創始者、グラム・パーソンズと親友であったことは有名な話で、キースはグラムのために、「Wild Horses」を書いたという。Flying Buritto Brothersのアルバムで、グラムもこの曲をやっているが、
儚げで、いつでも壊れそうな、震える心、ガラス細工のようなエモーション満点で、レオン・ラッセルのピアノにも涙できる。
グラム・パーソンズはドラッグに溺れ、酒も飲め飲め、女性関係も相当派手だったようで、死んだときはどっかのアメリカの田舎のモーテルで、当時付き合っていた女性が死んだ彼のアレを、一生懸命立たせようとしごいていた、という話がある。
 胸が締め付けられたようにキュンとなる声を持つ男性ボーカリストは、グラム以外にはいないだろう。
 野生の馬(=グラム)について行けなかった、、、、と悲しみを押し殺して歌うキース、ロン・ウッド。
やっぱストーンズはいいな。
the Rolling Stones "Wild Horses"

 このように「キースが実はカントリー好き」であることを証明するブツが、「グラム・パーソンズとWild Horses」だと僕はずっと思ってきたわけなのだが、
それに負けるとも劣らないエビデンスが、キースがしみじみと歌う「We had it All」だったわけだ。だから聴いた瞬間、ものすごく嬉しくて、切なくなって、泣けた。

Rolling Stones "We had it All"
Rolling Stones "We had it All"


ということで、今日はWe had it ALLのコード進行を。
キーはCメジャー、4/4拍子、エイトビート。

 イントロ【I】パートは







|C-G/B|Am-G|F-Em|Dm7-G|

はっきりと、パッヘルベルのカノンのコード進行で、
I-V/VII-VIm-V-IV-IIIm-IIm7-V
ベースラインが、ド、シ、ラ、ソ、ファ、ミ、レ、ソと下降していくパターン。

 歌の【A】パートは、













|C-G/B|Am-G|F-G|F-C|
|C-G/B|Am-G|F-G|C|

イントロと異なるところは、F(IVサブドミナント)の後に、G(ドミナント)に行って、またサブドミに戻って、トニックへアーメン終止するところくらい。

【B】パートのコード進行は、

















|C-Bb|F-C|C-Bb|F-C|
|C-Bb|F-C|F-C|F-C|
|F-C|G-C|

トニックからサブドミナントマイナー代替のbVII=Bbを挟んでサブドミナントヴァンプを回して、
あとは、アーメンヴァンプ(F-C)を繰り返して、切なさを強調しつつ、V-Iでお辞儀終止。

 しかし、しかし、ストーンズのサム・ガールズはジャケットも音楽も最高に好きな一枚でしたが、デラックス版は本当にいいです。



このコンテンツは批評目的によるRITTS, DONNIE / SEALS, TROY HAROLDの音楽の引用が含まれています。音楽の著作権は著作権者に帰するものです。また、個人的耳コピのため音楽的には間違った解釈である可能性もありますが、故意に著作権者の音楽の価値を低めようとするものではありません。】


Bryan Ferry "What Goes On"




















さて、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ロキシー・ミュージック、デビット・ボウィ、モット・ザ・フープル、布袋寅泰、マーシャ・クレラという才能あるミュージシャンの絵描く六角形のエリアの中に、
わたしたちは今、足をとどめている。

 先日、ヴェルヴェット版のオリジナル「What Goes On」について書いたが、今日はそのカヴァー、

Bryan Ferryの"What Goes On"

について考えてみよう。しかし、ブライアン・フェリー、いつ見てもヘンだなあw。スゴイヒトですよね。僕は本当にそれがカッコイイと思うのですが。


 さて、この曲はフェリーがマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)の代表作大ガラスに捧げた「the Bride Strippede Bare(ベールを脱がされた花嫁さえも)」で、カヴァーしている。
僕はデュシャンが高校2年生のころから、大好きで大好きで、大ガラスが見たくて大学を選んだくらい。強引な「ひとこと言い切り」かもしれないが、
資本主義社会や現代社会が「トートロジーとオナニズムに総てが収束して行って、やがてコミュニケーションがなくなり、世界は9人の独身者と花嫁になる」という、デュシャンのテーマは、
ますます、いま、冗談ではないというか、時代の趨勢を見事に捉えていると、今さらながらに感心する。
 そんなデュシャンをフェリーが敬愛している、というところに、大きなアートの系譜みたいなものが存在していることに、僕は本当に感銘を受けるのだ。

 さて、キーはDメジャーで、4/4拍子、エイトビート。

【I】イントロはDワンコード8小節なのだがVelvet版より16ビート感を強調して、




Music wrtten by Velvet Undergound,
Performed by Bryan Ferry, Waddy Wachtel, Neil Hubbard
Tabbed by dukkiedukkie(Masataka Koduka)
D
+ + + + + + + +
e:-3---3-2-3---3-2-|---2-3---3-2-----|
B:-3---3-3-3---3-3-|---3-3---3-3-----|
G:-2---2-2-2---2-2-|---2-2---2-2-----|
D:-0-------0-------|---0-0-----------|
A:-----------------|-----------------|
E:-----------------|-----------------|


 と、sus4感もより強めたカッティング。このアルバムには、リンダ・ロンシュタットバンドや、奥田民生バンド、キース・リチャーズバンドにいたアメリカ西部のギタリスト、ワディ・ワクテルと、
イギリスのスワンプ&パブロックの老舗、グリース・バンド、ココモ、ジューシィ・ルーシィ出身の天才リズム・ギタリスト、ニール・ハバード(Neil Hubbard)が参加しているのだが、
おそらく右チャンネルのリードギターがワディで、左のカッティングは、ニール・ハバードによるものだと思う。

 実は僕は、このニール・ハバードというギタリストが、世界で一番大好きなギタリストだったりする。ヴェルヴェットな六角形には必ず、僕が大好きなヒトが巻き込まれている。


 さて、そのニールのカッティングギター、【A】パートに入ると(コード進行は先日の記事をご参照)、




Music wrtten by Velvet Undergound,
Performed by Bryan Ferry, Waddy Wachtel, Neil Hubbard
Tabbed by dukkiedukkie(Masataka Koduka)
D
+ + + + + + + +
e:-2---3---3-2---3-|---2-3---3-2-----|
B:-3---3---3-3---3-|---3-3---3-3-----|
G:-2---2---2-2---2-|---2-2---2-2-----|
D:-0---0---0-----0-|-----0---0-------|
A:-----------------|-----------------|
E:-----------------|-----------------|
C G6 D
+ + + + + + + +
e:-0---0---0---0-2-|-----3---3-2-----|
B:-1---1---0---0-3-|-----3---3-3-----|
G:-0---0---0---0-2-|-----2---2-2-----|
D:-2---2---0---0-0-|-----0---0-0-----|
A:-3---3---2---2---|-----------------|
E:---------3---3---|-----------------|


と、1-2小節目はイントロを歌のメロディにぶつからないよう繊細にずらし(←こういうのがスゴイ)、
サブドミナントの3小節目もトップノートをあえて動かさないで色彩感を変える。ハバード氏のリズムギターはこのへんがスゴイ。
 【B】パートも





Music wrtten by Velvet Undergound,
Performed by Bryan Ferry, Waddy Wachtel, Neil Hubbard
Tabbed by dukkiedukkie(Masataka Koduka)
A G
+ + + + + + + +
e:-0-0-----0-------|-----0---0-------|
B:-2-2-----2-------|-3-3-0---0-3-----|
G:-2-2-0-2-2-------|-0-0-0---0-0-----|
D:-2-2-----2-------|-0-0-------------|
A:-0-0-----0-------|-2-2-------------|
E:-----------------|-3---------------|
D
+ + + + + + + +
e:-2-2-3-2-3-2-3-2-|-3-2-3---2-------|
B:-3-3-3-3-3-3-3-3-|-3-3-3---3-------|
G:-2-2-2-2-2-2-2-2-|-2-2-2---2-------|
D:-0-0-0---0---0---|-0-0-0---0-------|
A:-----------------|-----------------|
E:-----------------|-----------------|



とカッティング。ニール・ハバードは本当にカッコイイです。

このコンテンツは批評目的によるVelvet Undergroundの音楽の引用が含まれています。音楽の著作権は著作権者に帰するものです。また、個人的耳コピのため音楽的には間違った解釈である可能性もありますが、故意に著作権者の音楽の価値を低めようとするものではありません。】


ヴァネッサ・パラディ(Vanessa Paradis)"I'm Waiting for a Ma



























 さて、「ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの引力渦巻く六角形」にしばらく我々はとどまるべきなのだ。
退廃と、「進化なるもの」「前向きなるもの」との距離をしっかりと測るために。
「25歳にもなったのだから自殺してしまいたかった」と語るAll the Young Dudesの少年は、今、この時代のぼくらの目前に居るのである。
すれ違っているのである。
 だからこそ、「ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの引力渦巻く六角形」にしばらく我々はとどまるべきなのだ。

 
 そこで今日は、ジョニー・デップのパートナー、ヴァネッサ・パラディ(Vanessa Paradis)の1992年のアルバムから、
Velvet Underground のカヴァー曲、「I'm Waiting for the Man」
のフレーズを練習しましょう。

 キーはDメジャーで、4/4拍子、エイトビート。


【I】イントロ・パートは、





|D|G|


のいわゆるI-IVヴァンプで、この部分のビート、フィーリングが命の曲です。ギターのフレーズは、抽象化すると、





Music wrtten by Lou Reed
Tabbed by dukkiedukkie(Masataka Koduka)
  4/4
D G7
+ + + + + + + +
e:-2--/7-5-----5---|-----3-1---0-----|
B:-3--/3-3-----3---|-0-3---0---0-3-1-|
G:-2---------------|-0---------------|
D:-0---------------|-0---------------|
A:-----------------|-0-2-------------|
E:-----------------|-3---------------|



みたいなフレーズの繰り返しで、この粘っこいフレーズがLou Reed特有のグルーブ感を作り上げています。
また、このヴァネッサのアルバムは、レニー・クラヴィッツがプロデュースしており、このギターも彼の音楽センスがにじみ出ている気がします。

 さて、歌に入って【A】パートのコード進行は上記【I】と同じ。
【B】パートは、







|D|F#m|G|A7|

 トニック→代替マイナートニック→サブドミナント→ドミナント
のオーソドックスな展開ですが、4小節目はAmでやってもいいし、Amb5+11みたいな感じで弾いてもよし、の
「ドミナントセブンスは基本どんな音が混ざっても不協和音に聞こえにくい」という特性を120%活かして楽しめる感じ。

 
 フレーズ的には、




Music wrtten by Lou Reed
Tabbed by dukkiedukkie(Masataka Koduka)
  4/4
D F#m
+ + + + + + + +
e:-2--/7-5-----5---|-------2---------|
B:-3--/3-3-----3---|-----2-----2-----|
G:-2---------------|---2-----------2-|
D:-0---------------|-4---------------|
A:-----------------|-----------------|
E:-----------------|-----------------|
G A7
+ + + + + + + +
e:-------3-------0-|-1---------------|
B:-----3-----3-3---|-2-3-1-----------|
G:---0-------------|-2-----2---------|
D:-0---------------|-2-------3-0-----|
A:-2---------------|-0-----------3---|
E:-3---------------|-----------------|




 みたいな感じ。弾いててたのしいフレーズです。

 しかし、昔この曲はLou Reedが歌ってたからか「同性愛の歌」って噂もあったりしたのですが、ヴァネッサが歌うと超可愛らしいですね!
 

 ということで、ジョニー・デップも、ヴェルヴェットの磁場にいます。




このコンテンツは批評目的によるVelvet Undergroundの音楽の引用が含まれています。音楽の著作権は著作権者に帰するものです。また、個人的耳コピのため音楽的には間違った解釈である可能性もありますが、故意に著作権者の音楽の価値を低めようとするものではありません。】



Velvet Underground "White Light/White Heat"




















 昨日、「ロックは最高の玩具で、ヴェルベット・アンダーグラウンドもその一つ」と書いたり、
「フェイセスだけあれば生きていける」的なことを書いたりしているわけだが、しかも最近、布袋寅泰や忌野清志郎をキチンと聴いておいたほうがよいようなヒトの縁を得て、
人生何度目かの「音楽のミューズ」を我が手にしたいものだなあとのらくらと生きているわけなのだが、
布袋寅泰がMott the Hoopleの「すべての若き野郎ども」や、Roxy Musicの「Love is the Drug」、David Bowieのナンバーをカバーしていたり、
Bryan Ferry がVelvet Undergroundの”What Goes On”をカバーしていたり、
Masha QrellaがBryan Ferry の"Don't Stop the Dance"をカバーしていたり、
Mott the Hoople と David Bowieが Velvet Undergroundの"Sweet Jane"をカバーしてたり、
David Bowie とそのスパイダース・フロム・マースのギタリストMick RonsonがVelvet Undergroundの"White Light/White Heats"をカバーしていたり、
なんだかなんだか、同じ穴のムジナというか、数曲の名曲とコード進行とリズムの「穴」というか「ツボ」みたいなものが世界のどこかには存在していて、
その引力と重力に惹かれた、時間や時代や地理を超えた「仲間」というかミュージシャンシップのようなものがあって、その引力の場は六角形とかの形状をしていて、
カッコイイやつとカワイイやつだけが集まっていて、俺もそこに行きたくて、生きていて、
その観点から見て、

「グラム、ヴェルヴェットがあれば他は何もいらん」

みたいなことが、言えるんじゃないかなあ、なんて感じている。よくわからない文章でいつもすみませんが。


 ということで今日は、
Velvet Underground "White Light/White Heat"

 僕にとってこの曲は、Mick Ronson のソロアルバムに邦題「ギターでぶっ飛ばせ」という隠れた名盤があって、その中での演奏が一番記憶に残っているんだけど、
また、レコード屋でバイトしていた時代、バイト仲間のY君と「あのジャケットのミック・ロンソンの衣装、ポーズ、笑えるよね~(^^)」と爆笑してた時の記憶が一番強かったりするのだが、

Mick Ronson "White Light/White Heat"(参照)

 でも、youtubeすごいなあ、以下のDavid Bowie版は初めて見た。カッケー!!

Velvet Underground "White Light/White Heat"


Velvet 版のキーはちょっと440Hzより低めだがおそらくGメジャーで、4/4拍子、エイトビート。

【A】パートは、













|G|G|G|G|
|D|D|G|G|

 と、トニック→ドミナント→トニックの単純な構造。ロック。

【B】パートは、







|G|C|G|G|

で2回繰り返し。トニック→サブドミナント→トニック。

【C】パートも2回繰り返しで、







|F|C|G|G|

「ロックはサブドミナントマイナー」のbVIIが登場して、
サブドミナントマイナー→サブドミナント→トニックのアーメン終止。"What Goes On"同様。


「グラム、ヴェルヴェットがあれば他は何もいらん」

という人間関係の六角形のようなもの。

これを一つの磁場で、コチラ側とするならば、たけしくんもコチラ側にいるべきじゃないかなあ。さらに意味不明なことを書いているが。


このコンテンツは批評目的によるVelvet Undergroundの音楽の引用が含まれています。音楽の著作権は著作権者に帰するものです。また、個人的耳コピのため音楽的には間違った解釈である可能性もありますが、故意に著作権者の音楽の価値を低めようとするものではありません。】