「おおかみこどもの雨と雪」と”くにたち”、不在の”父”とぼく | 牧歌組合~45歳からの海外ミュージシャン生活:世界ツアーに向けて~

「おおかみこどもの雨と雪」と”くにたち”、不在の”父”とぼく

 先週みた。涙が止まらなかった。


 近しい他人との関係、家族との関係、”自分”を見つめなおす素晴らしい映画。


 冒頭、狼男と”母”の出会いの舞台として国立(主人公たちの住所上は国分寺でくにたち北口住まい)の風景が描かれる。個人的にこの時点で完全にノックアウト、ダメ。涙が止まらなくなった。僕が、約20年前に妻と同棲をはじめたころの風景。若い男女なら当然のことかもしれない、「幸せ」と未来への「不安」が、一定の間隔で感情をまどわせ心を揺さぶり、お互いの体温を感ずることでしか将来への不安を解消できなかった時間が描かれる。その時間を過ごした風景、国立の街並み。”白十字”のカフェ。産まれた子供のため苦心して生きる生活。そのなかで消えてしまう”父”。



 ”母”の苦労。



 不在となる”父=おおかみおとこ”は、「おおかみおとこ」に限定した問題なんかじゃない。ピンクレディーの「男=おおかみおとこ」論だけではなく、この映画は「男であることの存在の意味」や「男として生きていくこと」、「父」という存在が何であるか? を見事に語っている。心に刺さる。


 ”母”の苦労は”父”がレアな「おおかみおとこ」であったことによるものでなく、そこらへんに存在し偏在する”男性”すべてがそうである、という抽象化によって初めて、ヒトの心を揺さぶる物語に昇華する。父殺しの『オイディプス』が神話化するのと同様に。



 逆に”母”の苦労も普遍だ。非常に経済的で、効率的で、ザッハリヒカイトで、緊縮財政家で、賢い”母”の生きる姿。現実を客観的にとらえ、ひきこもりとなろうと、冒険しようと、子供の生きる道に関する心配を瞬時にして捨て去って、受け容れる母。


 すべての女性の美しさが見事に描かれている。


 そうだ。例外にもれず、たぶん、僕は妻に対して、同様の苦心を、孤独を、プレッシャーをかけてきた。妻だけではなく、他者すべてに対してかもしれない。


 他者とは何であるか?
 孤独とは何か? 
 孤独に酔う姿勢とは何であるか? 
 他者を傷つけるということはどういう行為であるのか?
 傷を癒すために必要な時間はどのくらいなのか?
 自分の何を隠し、何を大切なヒトとの秘密にして、距離をとるのか?



 いろいろ考えさせられる素晴しい映画だ。