ライブ演奏できないベルリンで〜Aber, Ich bleibe in Deutschland | 牧歌組合~45歳からの海外ミュージシャン生活:世界ツアーに向けて~

ライブ演奏できないベルリンで〜Aber, Ich bleibe in Deutschland

 ベルリンにて、最後に人前で演奏したのは2週間前の(2020年)3月7日(土曜日)のことだ。すでにハグや握手を自粛する人々も多少はいたが、大抵の音楽仲間、スタッフ、観客ともハグや握手を交わして笑いあっていた。3月7日の時点では、ドイツにおけるCOVID-19感染者は684人(ドイツ連邦保健省発表)で、ベルリンに暮らす人たちにとっては、中国などで起こっている”対岸の火事”程度の認識だった、たった2週間前のこと。

 

 その次の週(3月9日〜)に入ってから、演奏予定であったコンサートのキャンセルが相次いで起こり始める。週半ばにドイツの学校・保育所などの1ヶ月間閉鎖決定、コンサートなど集会の自粛が政府から告示されてから、4月中旬までの(自分が参加している5バンド、)11コンサートが中止となった。まだキャンセルになっていない予定も3月中、4月もあるのだが、おそらく、このままだと中止になるだろう。この4-5年間は、1ヶ月に10以上のコンサートでベースを演奏することが普通な生活であり、(少ないながらも)その演奏で得たお金で生活してきた自分としては、まあ、大打撃だ。そして、今ドイツにおけるCOVID-19感染者は2万人を超えてしまった(3月21日時点)。ハグや握手もなくなった。演奏できる場所は、ほぼほぼ、閉まっている。

 

 初めは、とても悔しかった。自分がベルリンに暮らしている最大の理由は、気軽に公然で演奏ができる、ということである。それと、ハグや握手など、日本人には無い、ヨーロッパ人の暖かさ、肌の触れ合い。これら、7年を超えるベルリン生活で自分にとっては、”当たりまえ”のことだったことが、この2週間で、見事に崩れ去って、自分は目標を失い、大変人里離れた場所に一人でポツンと取り残されたような悲しみが、私を襲った。週末は、ライブハウスで演奏して、ドイツビールをしこたま飲むために生きてきたのだ。週末、一人でポツンと部屋に閉じこもってるなんて、自分じゃ無い。何をしているのだ? ここで、一人で、私は??

 

 しかし。落ち込んで2、3日経ってから、(食べるために必須な買い物以外は)一人で部屋に閉じこもっている生活も、悪くないな、いや、これも結構、いいな、と感じ始めた。まあ、7年間ずっとリモートワークでITの仕事もしてきているので、自分はCOVID-19が無くても、基本”引きこもり”社会人(ギリギリ)なわけだ。今週などは合計5ライブが中止になったのだが、その分、自主トレに時間を充てることができる。普段練習できていないバッハのチェロ組曲や習得したかったフレーズに手を出して、3-4時間悩んだり、普段忙しくてちゃんと聴くことのできなかった音楽を何度も注意深く聴くことができる。色んな素晴らしいベースラインが発見できる。ITエンジニアとしては、もっと理解したかった遺伝的アルゴリズムについて勉強できたり、今まで自分が実務で使ったことがない新しい技術を勉強することができる。まあ、せっかくの機会なのだから、そこに時間を使う以外にやることがない。この間に、新しいスキルを付けて、この騒動が収まったあと、デキるベーシスト兼エンジニアになっていたい。

 

 絶対に守りたい教訓が2つある。一つは、スティーヴン・キング原作の映画『ショーシャンクの空に』。独房に閉じ込められたアンディ・デュフレーンが「寂しくなかったよ。僕は頭のなかで、いつもモーツアルトと遊べるから」みたいなことを言う。こういう状況下において、ものすごく大切なことだと思う。自分もそういった心持を保っていたい。

 

 もう一つの重要な示唆は、ドイツの心理学者、V.E.フランケルの『夜と霧』。彼の第二次世界大戦でのアウシュビッツ体験を語ったエッセイで、2011年の福島でもベストセラーとなり、人々に、「いかに、パニックや狂気に走らないで止まることが出来るか? どうすれば自己崩壊せずに済むか?」を教えてくれる名著だ。いつ死刑になるかわからないという極限状況のなかで、フランケルは一つのトリックを発見する。

 

 私のあらゆる思考が毎日毎時苦しめられざるを得ないこの残酷な強迫に対する嫌悪の念に私はもう耐えられなくなった。そこで私は一つのトリックを用いるのであった。突然私自身は明るく照らされた美しくて暖かい大きな講演会場の演壇に立っていた。私の前にはゆったりとしたクッションの椅子に興味深く耳を傾けている聴衆がいた。…そこで私は語り、強制収容所の心理学についてある講演をしたのだった。そして私をかくも苦しめた抑圧する全てのものは客観化され、科学性のより高い見地から見られ描かれるのであった。

 このトリックでもって私は自分を何らかの形で現在の環境、現在の苦悩の上に置くことができ、またあたかもそれがすでに過去のことであるかのようにみることが可能になり、また苦悩する私自身を心理学的、科学的探究の対象であるかのように見ることができたのである。スピノザはそのエチカの中で次のように言っている。「苦悩という情緒はわれわれがそれに関して明晰判明な表象を作るや否や消失してしまうのである」(エチカ、5の3、「精神の力あるいは人間の自由について」)

(V.E.フランケル『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』、みすず書房、霧山徳爾訳)

 

 今週行われたメルケル首相の素晴らしい演説にも、同じような視点があったように思える。この状況がどれだけ続くのかわからない。いつまで、ライブ演奏できないのか、全くわからないし、不安である。しかし、以上の2つの視点を私は失わないで生きていたい。今、迂闊な行動を起こしても何にもならない。無理して他人に会う必要は無い。部屋に閉じこもり、極力他人との接触を避けつつも、寂しさに負けず、疑心暗鬼にならず、考えすぎず、自己崩壊しない時間を過ごしたい。希望をもって、楽観的に、戦略的に、自己隔離を楽しむのだ。

 

 「他のミュージシャンから、弾いて欲しい、と思われるベースラインを弾けるようになれ」と恩師は言っていた。日本では若さ故か、エゴ故か、邪心故か、それができなかった。この7年間、ベルリンの音楽家たちが、私にベーシストとしての居場所を作ってくれた。私は、ベルリンのミュージシャンシップが好きだ。「ベーシストとして誰も求めてくれなくなったときに、日本に帰る」と決めたのだ、私は。今はベルリン(私の居場所)を離れられない。

 

 まだだ、まだ、終わらんよ。