【連載10】「情熱もって生きている」(¡Vivo, con passione!) | 牧歌組合~45歳からの海外ミュージシャン生活:世界ツアーに向けて~

【連載10】「情熱もって生きている」(¡Vivo, con passione!)

世界の中心でアイを叫んだけもの。ベルリンでIch乃至Liebeを叫ぶ小物。45歳から自分の夢を追いかける碇シンジ。「永遠の中二病」という病を直す処方箋は何か? たぶん、「情熱もって生きている」("¡Vivo, con passione!", "Mit Leidenschaft lebe ich!" )と胸をはって言うことだと、親友O君の助言で、今日思った。

ピアソラのコントラバス独奏曲「キチョ」を練習中。やっぱり難しい。難しいフレーズをクリアできないとどうしても落ち込み、自分を卑下してしまう。僕は天性の音楽的才能にも恵まれていない、3歳くらいからベースを弾くような音楽的環境にも恵まれなかった、などの無い物ねだりループ。それは時間の無いものねだりに続く。「こうやりたい」という計画もしばしば日常でやらなければならないことが一杯で上手に回らない。日本の元家族の住居へのローン返済、そのためのエンジニアとしての仕事、ベルリンでの生活環境の改善などなど、正直、心配ことばかり。エンジニアとしての自分、父としての自分、音楽家としての自分の狭間で、いつも時間配分に追われてばかり。正直、色々難しい。

そして、他人への無いものねだり。自分の運命が上手くまわらないとき、他人のせいにする。他人を小物と見なして、「あいつが小物だから、自分も損をするんだ」とか考えてしまう。そして、見たことも無い、あったことも無い”大物”(=神)を待ち望む。

だが、それでいいのか? 何故、ベストを尽くさないのか?

僕を使ってくれる音楽家、仕事の仲間たちがいる。ライブを聴きにきてくれる人たちがいる。少なくとも絶対に、彼女ら、彼らを失望させてはいけない。 僕に今すぐできる、ベストを尽くすということはなんであるか。

よく師匠は言っていた。
「ベースは、グルーブの要。だから、他のメンバーから出している音を聴いてもらえるか、信頼してもらえるかにかかっている。完全な負け試合(他のメンバーもやる気なくガタガタ、マネジメントも上手でなく、お客さんも引いている等など)のライブでも、ベース奏者は、ゴールキーパーであるにもかかわらず、ゴールを決めに行かなければならないときがある。たった一人でも、無理矢理、敵陣に突っ込んでいってゴールを決めようとする気合いが必要になる。」
多分それがグルーブだ。

大物小物。小物が嫌い、と言っている奴(=僕)は小物だ。

ミンガスは自伝『負け犬の下で』でこう書いた。
「僕はベースが上手に弾けるようになったら、誰よりも大きく堂々と胸を張ってステージに立って弾くんだ。トロイラ、トロイラ~♩」(引用ですが、手元に当該書籍が無いため、本人の朧げな記憶で書いています)

19歳の僕も同じことを考えていた。その初心を思い出したら、なんだか泣けてきた。45歳になって、今僕は何かをやっと見つけたかもしれない。

少なくとも僕は「情熱もって生きている」と胸を張って言える。そうだ、言おう。それが伝わるような音を出そう。仕事をしよう。これでいいのだ。
(つづく)