【連載9】負け犬の下で | 牧歌組合~45歳からの海外ミュージシャン生活:世界ツアーに向けて~

【連載9】負け犬の下で

タンゴバンド「ラ・ベルリンガ」でレコーディングがいよいよ始まる。来週ブレーメン、4月ブエノスアイレスにて。

「各メンバーそれぞれ一曲、ソロ演奏を録音しよう」という話になっていて、僕は、アストラ・ピアソラの楽曲「キチョ」を録音しようと思って、ギタリスト、ガブリエルと練習を始めている。ピアソラがベーシスト、キチョ・ディアスのために書き下ろしたコントラバスのリード曲。思えばコントラバスを手にして約25年、ほぼ毎日この曲を練習レパートリーに入れて練習してきているから、いざ録音、となると深い深い感慨がある。そして、なるべくいい演奏がしたいと気合も入るし、へたくそな箇所の不安もあって緊張する。

「キチョ」はこん↓な曲。様々な名手が、様々な解釈でこの曲を演奏しているが、この音楽学校での発表会での彼女の朴訥とした演奏に僕は好感が持てる。

上の動画だと、1分17秒から始まるコントラバスが歌う部分(カンタービレ)で僕はいつも泣きそうになる。

ベルリンでタンゴバンドに参加し、最低でも週に一回、人前でタンゴを演奏しているのだが、実際”プロのタンゴベーシスト”としての活動のなか、タンゴのフィーリングを出せているのか分からなくて悩む。日本人である自分と、地元アルゼンチン人の文化的素養の差。聴きにきてくれたヒトから、「マサの『Marrón y azul』でのアドリブはジャズだ。タンゴの演奏じゃない」、「マサはジャズが好きなんでしょ?」とかたまに言われる。特にソレを意識して演奏しているわけではないのだが。。。。そして、自分のルーツとなる音楽は一体何なのか、カラダに染み付いたビートは何なのか、悩む。

僕にとってのジャズ。最初のベースのヒーローはチャールズ・ミンガスだった。ミンガスみたいになりたくて、コントラバスを始めた。ミンガスに興味を持ったのは、高校生時代に英国のトラッドバンド、ペンタングルのライブ盤『スウィート・チャイルド』を聴いたときから。この中で、ペンタングルの優秀なコントラバス奏者、ダニー・トンプソン(大好き!)がミンガスの「ハイチ人の戦いの歌」をソロ演奏するのであるが、聴いた瞬間、このベースリフがアタマのなかを即座に占拠した。

このリフは未だに僕の毎日の練習レパートリー入りをして、僕のアタマのなかを占拠している。「ジャズの巨人」として一見”大成功”したヒトのはずなのに、彼の自伝のタイトルは「負け犬の下で」。常に自分を「負け犬」と自己評価し、とてつもなく強烈な音楽を創り上げた。僕はその姿勢を尊敬している。大好きだ。

次のヒーローは、アルゼンチン・タンゴのコントラバス名手、キチョ・ディアス。録音予定のキチョのフレーズ全部が僕のアタマを24年間、占拠。

そして、ジョン・コルトレーン・カルテットのジミーギャリソン。師匠(松永さん)から「お前の音って、純粋で朴訥~としてて、ジミー・ギャリソンに似てるよな」と言われてから、好きになってしまった。よい意味で純粋、悪い意味で、阿呆の音、ということ(笑)。教え上手なヒトは褒め言葉(=批評、レビュー)が非常に巧く、真を突いている。自分がプレーヤーとして、「満場一致の拍手!」を戴くような才能を持っているとは決して思っていないし、それを求められるだけの理由(そこまで一生をコントラバスに捧げていない)も無いと思っているので、こういう、褒め言葉とも貶し言葉とも分からない感想、っていうのがコントラバスを続ける機動力、そして生きる喜びになっている。人間、多くを求めないほうが幸せに生きれる。

たった一度、町田康さんが昔のバンド、牧歌組合のライブを見にきてくれたときに、アンケートに
「小塚くんのベースはロックだ」と一筆書いてくれた。ロック精神を常に持った1ミュージシャンとしては最大の褒め言葉で嬉しいのだが、普通のベース奏者なら持っているはずのジャジーなフィーリング(色気)が全く無い、ということ。松永師匠にその話をして「どうやったらジャズっぽいフィーリングが出るんですかね?」と相談したら、レイ・ブラウンとデューク・エリントンがデュオで演奏している「昔はよかったね」のフレーズを教えてくれた。次の日からこの曲も毎日の練習レパートリー入りし、21年間僕のアタマを占拠している。

きわどい褒め言葉。今年、タンゴ奏法を教えてくれたアルゼンチンのコントラバス奏者、エルナンは厳しい指導と同時に、たまに「マサ、なんでそんなにいい音が出せるの?」と褒めてくれた。エステル・シュヴァルツロックのバンドのリハで、僕の演奏に対して、エステルやユーディット、フランチスカが「super geil!!」と褒めてくれるととても嬉しい。それらのちょっとした褒め言葉が、僕にとっての何よりも嬉しい生きる原動力。これらの言葉を大切にしながら、”負け犬の下”で生きるのが僕の人生なのだろう。

若い頃はプロのミュージシャンとしての”成功”を求め、多分、見えない敵と闘っていた。そんなとき、自分のバンドに参加してくれた塚本くんがこう言った。「それは結果だろ。とりあえずたった一つのフレーズのプロになることを考えようよ」

僕はいま、「キチョ」のフレーズのプロになりたい。
(つづく)