【連載8】せめて人間らしく | 牧歌組合~45歳からの海外ミュージシャン生活:世界ツアーに向けて~

【連載8】せめて人間らしく

「マサタカ保育園」解体後の個人的に重い引っ越し疲れのせいか、マサタカ(筆者)はかなり重い風邪をひいてしまった。海外ベルリンでの一人暮らし、自炊も疲れるので今日は近所のケバブ・ショップで夕食。たった一人の晩餐はとても寂しい。

風邪をこじらせてしまったのは、先週土曜日(2014年3月8日)、参加しているバンド、エステル・シュヴァルツロックのライブ後、バイオリン奏者のユーディット、リーダーのエステル、バンドネオン奏者のタトーと、午前3時くらいまで、わいわい、店のオーナー、ターノから振る舞われた熱々のエンパナーダを一緒に食べ、飲みながら、だらだら喋っていたせいだ。「日本音楽バンド(サディスティク巫女バンド)でドイツ老人ホームで演奏する際、どんなドイツ語の楽曲をレパートリーに入れたら、確実にドイツ老婦人の心をつかめるか?」「ヨーロッパ諸国を日本人は、漢字でどのように書くか? かつドイツは何故、”独逸”なのか?なぜそうなったのか?」「マサタカは漫画を描くのが上手いが、私たちを描いたらどうなるか?」。主にこの議題でだらだら約3時間の晩餐。ライブ後の、バンド仲間と一緒の晩餐はめっちゃくちゃ楽しい。

ベルリンでの音楽活動は自腹を切らなくてよい。それどころか、自分だけが生活していくための生活費くらいなら、ギャラでなんとか稼げる。コンサートの回数が多い月は。これは日本と大きく違う。

東京で”売れない”ミュージシャンが、音楽活動を始めた場合、まず最初に「ライブハウスのノルマクリア」という壁にぶち当たる。3バンド共演のライブならば、おおよそ入場料1500円として最低10人分=15000円をライブハウスに納める必要がある。1バンドでの単独ライブならば、最低でも4~5万円のノルマ。そのノルマをクリアした場合、かなりのマージンをお店が持って行くかたちで、なけなしのギャラがミュージシャンに対して支払われる。”売れない”ミュージシャンはお金を大抵持っていないから、これが音楽創作活動およびバンド営業戦略において大きな障壁となる。加えて、スタジオでの練習費用などを加えると、バンドに取って金銭やりくりが大きな課題となり、お金を払ってライブをさせてもらう、みたいな、本来、素晴らしいものであるべき芸術活動が、卑屈なスピリットに成り下がってしまう傾向にある。そして、大抵、お店でのオーダーに対してもお金を払わなければならない。

これはヨーロッパと日本の文化観の決定的な違いなのだろうか? 音楽の生活への根付き方の違いなのだろうか? ベルリン(海外での音楽活動を筆者はベルリンしか知らないが)では、ミュージシャンがお店でのオーダーにお金を払う必要はない。カフェ、レストランでの演奏であれば、食事もつく。もちろん、投げ銭制にせよ、チケット制にせよ、基本お客さんからミュージシャンに対して支払われたお金は、ミュージシャンのものとなる。大きなマージンで。だから僕は、ライブがある日は基本的に、何も食べず、前日はお酒も飲まず、お金を持たずライブ会場へ行く。週2~4回ライブがあれば、家での禁酒が成功しそうな勢いだ。健康にも多分いい。一つのライブを楽しいものにするために、お店の人々、ミュージシャンが、親密に、人間として尊重し合う時間を過ごす。あたかも家族のように。だからライブ後の、バンド仲間と一緒の晩餐はめっちゃくちゃ楽しいのだ。


2000年から日本のサラリーマンになって、約12年続けたが、家族を含め、他人と楽しく晩餐を取った時間の記憶が乏しい。平日は大抵遅くまで働いて、23:00~26:00くらいに帰宅して、一人寂しく冷めた夕食を、お酒を飲みながら食べる。子供がまだ幼かった頃は、土日祝日くらいは、家族全員での晩餐ができた。だが、子供たちが思春期に入るとその機会も減って行く。思えば、離婚前の5年間、土日祝日でも家族全員での食事というのは、数えるほどしかなかったのかもしれない。人間らしくない環境。家にいる時間が限りなく少ない。

何故、日本のミュージシャンたちにはノルマが嫁せられるのか? 東京は地価が高く、家賃が高い。ベルリンでは同じ家賃で約10倍の広いアパートを借りることが出来る。多分、一部の利に聡い日本人が”なんやかんや”して、不動産の値段が非常に高くなってしまった。当然、ライブハウスの家賃も高い。ライブハウスを経営して行くために、その家賃および運営費を支払うために、客が来ようと来まいと、一日あたり最低でも必要とするお金がある。かつ、日本人はクソ真面目だ。どんなライブハウスもドラムセット、ベースアンプ、ギターアンプを購入維持しているし、音響効果や照明などスタッフを多く抱えている。客が来なく、また、ドラマーが居ないバンドのライブのとき、ドラムセットとスタッフは手持ち無沙汰に佇んでいる。これらの維持費、人件費も含めて、オーナーはライブハウスを経営しなければならない。そのために、どうしてもミュージシャンへの「ノルマ」が必要となる。当然、ミュージシャンに対して無料で美味しい料理やお酒は振る舞われないから、東京のミュージシャンはライブ前後、マクドナルドか和民に集い、(なんとなく)寂しく侘しい食事をする。

一部の利に聡い奴、ミュージシャン含め、みんな幸せになろうとしているのに、それらの営みが協調せず意図しなかった計算狂い(バグ)を発生させ、みんなを不幸にして、人間らしくない生活を強要する。僕の日本の印象は、一言で言うとそれ。


ベルリンのライブハウス(カフェ、バー、レストラン含め生演奏が聴ける環境)では、比較的安めな家賃もあるだろうし、音響設備は基本「必要としているミュージシャン自身が持ち込む!」ルールが徹底しているから、無駄(なときもある)な運営費は発生せず、かつスタッフ数も格段に少ない。というか、ミュージシャンがスタッフの一員として協力する(僕も率先してやってます!)。GNP的にみても、日本とドイツは、他の国に比べ、優秀な技術力、その民族にしか持ち得ないような特殊な才能で、同じ性質を持った国と見なされるケースも多いのであるが、今回見たような「ひとつのライブの作り方」(維持費、人件費)を見ても、「人間らしい生き方」に対して両者間には決定的に違う何かがある。

日本人で仕事をバリバリするヒトなら、23:00に帰宅して、一人寂しく食事をとるのは極めてフツーなのだろうが、ドイツ人(多分、他の民族も)は(一般的に)残業しない。遅くとも19:00くらいには帰宅、平日でも家族全員での晩餐をゆっくりと囲むのがフツーのようだ。それが日本人にとって(僕も)、ちょっと「え?」と違和感を感じさせるケースもある。確かに、3時間もだらだらとおしゃべりしながらの晩餐は、非効率的、非経済的と見えるかもしれない。だが、もし30分で食事をして、他の山積するタスクをこなしたとして、でも眠るときに「非人間的な生活を送っていること」で心傷つき、2時間30分、眠れなかったとしよう。それならば、3時間だらだら、楽しい、一見無駄で無意味に見える時間を過ごしたほうが、いい。非常に健康的で効率的だ。少なくとも、僕にとっては、それがいい。本当にその時間が欲しい。




3年前の3月11日、あの地震が発生したときは、家に戻れなかった(参照)。政府に対してデモするとか、”なんやかんや”アピールするとか、はっきりそんなの、どうでもいい。ほとんどの共同体で、日本人の悪しき悪循環プロセス(みんな幸せになろうとしているのに、それらの営みが協調せず意図しなかった計算狂いを発生させ、みんなを不幸にして、人間らしくない生活を強要する)は回るだろうから。

せめて人間らしく生きること、そして人間らしく死ぬこととは、なんであるか、徹底的に内省する一日にしよう。
(つづく)