【連載6】心配せずに今は闘え | 牧歌組合~45歳からの海外ミュージシャン生活:世界ツアーに向けて~

【連載6】心配せずに今は闘え

「僕には帰れる場所がある」の”場所”の作りかたを考えてみる。

このブログは、2005年、アメーバブログが人気ブログに賞金を払っていた時代、4回連続で音楽ジャンルでの1位をとり、また全体ランキングでも何度か(回数の記憶は不正確)「鬼嫁日記」などとともにトップ10にランクインしたことがあり、その賞金合計金額はそこそこ、いいお小遣いとなった。2005年10月、JASRACと「コード進行の分析、タブ譜の掲載は著作権侵害ではないか?」という点でもめたことがあり、閉鎖の危機にさらされた。それは当時、そこそこ話題となり、週刊誌やシンポジウムなどでも採り上げられた。「牧歌組合 JASRAC」でググってみてください。何度も言いますが、侵害ではない、という勝訴結果をいただいております。

そしてそのブログは、つげ義春の「李さん一家」ではないが、話題性は廃れても今もなおここに残っていて、寂しいときの僕が帰れる場所になっている。酒を飲みながら、駄文を書き、寂しさを紛らわす、という行為は、僕にとっての最大の精神安定剤なのだろう。


45年生きてきているが、何度か鬱になっている。何もやる気が起こらなくなり、ただボケーっと生きている時間が、何度か訪れる。

一回目の鬱は、1995年4月。20代の僕には、「東大を中退してミュージシャンを選んだ!、だから成功しなければならない!」みたいな変な気負いがあった。多分その邪心が演奏にも影響していて、おそらくたいした演奏はできなかったのだが、自分のバンドと音楽活動が思うように行かないことにいつも悩んでいた。その悩みは、神戸の大震災が起こり、「自分の故郷が大変な状況だというのに、こんな大変なときだというのに、僕はへたくそなベースを練習していていいのだろうか?」という悩みに変わって、僕は一時期ベースを弾くことができなくなった。主夫生活を送ったのだが、松永師匠のアドバイスと、夜中おっぱいを求めても見つからなくて泣き叫ぶ長男の泣き顔をみて、社会復帰しようと思った。

二回目の鬱は、2006年1月。丁度、このブログでのJASRACとの闘いが収束したあとだった。32歳からは基本的にサラリーマン生活を送っているのだが、まあ客観的に見ても、主観的にも、僕は”フツー”のサラリーマンではないと、自覚している。常にいつも”副業”というか、「他にやりたいこと」(それは、常に音楽!、あるいは恋心)を抱えて生きて行くしか、多分できない人間なので、サラリーマンとして生きる上で、それは度々、他の本当に真面目な人々とのあいだで、問題を引き起こす。当時勤めていた会社の上司から、露骨にいじめられ、何もやる気がなくなってしまった。多分、僕みたいな部下を持った上司なら、そうなるのは仕方ないだろうとは思っている。これは宿命なのだろう。このときは、「盲腸の除去」を口実とした二週間ほどの休暇と入院と、「音楽療法」を勉強してバッハのカンタータを何回も聴き、ベースでも歌うこと、そして転職に向けて資格取得の勉強に打ち込むことで、社会復帰できた。ブログの賞金は、入院費として消えた。「まあ、この時間を作るために、あなたは文章書いてたのね」と元妻は言った。

三回目の鬱は、2009年1月ごろ。ヤフーで管理職をやっていたのだが、生え抜きではなく、「外からやってきた」管理職だったので、色々悩んだ。10日間ほど会社に行けなくなった。前回の学習から、バッハのカンタータを何回も聴き、演奏することと、そして、上司2人(Aさんと、Hさん)が素晴らしい人だった(二回目の鬱と同じように、まずヒトを扱き落してやろう、みたいな人間ではなかった。ヒトの気持ちを汲もう、共感しよう、とする人たちだった)こと、同僚のYとNがほぼカバーしてくれたこと(本当に感謝してます)で、何となく社会復帰できた。

四回目の鬱は、2012年6月。ドイツに旅行をしたあと、二回目の鬱と同じような状況が起きた。「ドイツで生活しよう」という夢で社会復帰できた。

五回目の鬱は、2013年10月。「マサタカ保育園」の崩壊のとき。この連載での登場人物、ガブリエル、ドウナ、タトー、エステル、ユーディットたちとの出会いと、バンド活動で、おそらく社会復帰できている(?)。

まあ、このようにまとめてみると、鬱発生の間隔がだんだん狭くなってきていることに気づく。社会復帰しているのか、していないのか、僕はスレスレなところを生きて行くしかないのかもしれない。


復帰。「僕には帰れる場所があるんだ」という場所に戻ること。さて、2005年のJASRACとの紛争のときのことを、最近思い出した。
そのときのページからの引用。http://ameblo.jp/dukkiedukkie/entry-10006301940.html







ps. 「くれぐれも無理はなさらないで」という言葉に、一番感謝しています。
この問題が起きたとき一番初めに心配したのが、
「問題を大きくして社会問題になったら、会社を首になるのでは?」ということでした。
家族のことを思い、争わずに閉鎖を考えました。

しかし、女房曰く。「あんた、あのままでいいの? このまま引き下がっても、
また他で同じことをたぶんやるだろう。心配せずに今は闘え」と。

くれぐれも無理はしませんが、できる限りやります。


僕は脚が速い。高校、大学のとき「逃げ足の小塚」と呼ばれていたこともある。しつこそうに見えて、結構、「ああ、駄目だ、苦しい」と思ったら即座に身を引く、諦めが超速いタイプである。動物占いは、チーターだ。JASRACとの闘争のときも、日本中から支援したいというメールやコメントが来ているというのに、「ああ、もう楽しくない、やーめた」と、家でボケーっと酒を飲み、ドラマをみていた。そんなときに降ってきた言葉。
「あんた、あのままでいいの? このまま引き下がっても、また他で同じことをたぶんやるだろう。心配せずに今は闘え」という言葉の成果として、僕にとって、このブログが「僕の帰れる場所」になった。


引き下がらず、また他で同じ失敗をしないために闘うことで、戻れる場所ができるのかもしれない。
(つづく)







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