45歳からの海外音楽活動【連載3】失恋等、失意の処方箋としてのタンゴ | 牧歌組合~45歳からの海外ミュージシャン生活:世界ツアーに向けて~

45歳からの海外音楽活動【連載3】失恋等、失意の処方箋としてのタンゴ

【連載3】失恋等、失意の処方箋としてのタンゴ

タンゴは”情熱の音楽”とよく言われる。実際タンゴを演奏していると、リハーサルとか、ライブ後のダメ出しとかで、「Passionが足りない!」という言葉が、重要なキーワードになる。だから、"情熱"と、"情熱"のゼロ状態である、"失意"について今日は考察する。ミュージシャンのためだけでなく、現代に生きる僕たちの”鬱”と闘うために。

アルゼンチン人のギター奏者、ガブリエルと、バンドネオン奏者、タトーとリハーサルに入ったのは、ガブリエルとカフェ・リリックで出会ってから10日くらい過ぎた2013年10月末日のことだった。最初の課題曲は、タンゴのスタンダード曲「Mal de amores」。ドイツ語だとLiebeskummer、英語だとheartbreak、日本語だと”失恋”。

タンゴの演奏はワンパターンではない。スタンダードだからといって、いつも同じ演奏でいいわけではない。世の中で既に演奏され、録音されたバージョンも全て、コード進行の解釈、楽曲の演出の仕方など、細部にわたりかなり異なっている。ジャズのスタンダード曲以上に難しい。一緒に演奏する、他の演奏者のクセや、フィーリング、フレージングを考慮しながら、一緒に自分たちなりのアレンジ、そしてグルーヴ、音楽を作り上げていく。

「世界中には、そのヒトのコピーがもう一人必ずいる」とよく言われるが、僕が一緒に演奏した音楽家のなかで言うと、ガブリエルは性格、プレイともに、小島麻由美やピラニアンズの塚本功くんにかなり近い。そのときの気分やフィーリングで、突如、想定もしていないようなフレーズやテンション・ノートを、いきなり笑顔で繰り出してくる。所謂、音楽の天才だ。これを受け止め、最適なベースラインを返し、お互い”ニヤリ”とするときに、何とも言えない幸せを感じる。ほとんどのケースで僕は失敗するのだが、このような天才肌のバンド仲間と、音と目線だけで会話しているときが一番、気持ちいい。マジで、言葉なんて、いらない。言葉の無い世界で暮らしたい。

その失恋曲、「Mal de amores」で、ガブリエルは「マサ(=
僕のこと)、ソロを取れ」と言う。それから、曲の半ばで、コントラバスの弓弾きのソロをいつも弾いている。そのメロディーを弾くとき、いつも僕は、失意というものが何であるかに想いを馳せて、情熱たっぷりに演奏しようと試みる。何かを失うということ、失った気持ち、喪失感とは何であるか?

僕には東京に住んでいる2人の子供がいる。男の子。長男はもう成人している。幼かったころ、長男は、願いがかなわなかったとき、買いたいものが手に入らないとき、もっと見たいモノが見れないとき、青梅鉄道公園で、鉄道模型のショーが終わって、電車の電源が切れたとき、いつもよく「もっと!、もっと!!」と泣き叫んだものだが、次男はかなりサッパリした奴で、願いがかなわなかったとき、ケロッと
「無いね」
と一言いって諦め、別のことをし始めていた。この点ではおそらく長男は、僕に似てて、次男は元妻に似ているのだろう。

元妻はよく僕に言っていた。あなたは、結構色々なものを持っているのに、自分が持っているものに満足しないから、いつも不幸だと自分で思ってしまうのだと。自分が今まで手に入れたもの、身につけたもの、持っているものだけを大切にして満足すれば、もっと幸せに生きれるのだと。ゼロであることは、マイナスではないと。自分のプラスだけ見て行けば、いいのだと。

タンゴでは、男女が至近距離で抱き合って踊る。リア充な二人のための音楽と思っているヒトもいるかもしれないが、アルゼンチンでタンゴが生まれた理由はそうではない。ゴールドラッシュ時代のアメリカ西部と同じく、移民だらけのアルゼンチンでは、男女の比率が5:1以上で、ほとんどの男性が女性と結婚することが出来なかった。ほとんどの男性が結婚すること無く、子孫を残すこと無く死んで行った。そういった男性にとって、ほぼ唯一と言っていい、女性と出会うチャンスが、タンゴを踊ることだった。お互いの肌にふれ、呼吸を感じ、目線で会話する、約3分間(=曲が流れる時間)のチャンス。その、チャンスを活かし、上手く行ったものもいるだろうし、チャンスを活かせず失意のどん底に至ったものもいるだろう。チャンスが「無いね」とケロッとしていたヒトもいただろうし、そうでなかったヒトもいただろう。

そういった環境で失恋曲が沢山書かれた。演奏された。”失恋”を演奏することは、そういった歴史、いや、過去の歴史だけではなく、永遠に流れる脈々たる失意の歴史を、深く感じることじゃないかと、僕は弾きながら思う。

自分の息子から教わった、
「無いね」
という言葉は、昨年からベルリンに住み様々な失意感を体験した僕にとって、自分を慰めたり、現実を受け容れるために、大切なフレーズ(ひとりごと)となった。手に入れたいもの。手に入らないもの。持っているもの。不足を感じるということ。それを、一瞬で、受け容れ、諦めるということ。

一方的に好きだったヒトが想いを受け止めてくれなくても、拒絶されたとしても、それを「無いね」の一言で一瞬で流して、威風堂々として生きて行きたい。たぶん、タンゴを演奏するということは、失意の処方をするということだ。ほとんどの場合、「上手くできなくてすみません、マチルダさん」(byセイラさん)だが。僕はそれを上手く演奏したいのである。
(つづく)








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