牧歌組合~45歳からの海外ミュージシャン生活:世界ツアーに向けて~






ドイツのブルーグラスバンド、Michi the Black Harlekin などでベース演奏中!
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日本人は美しい花を作る手を持ちながら、一旦その手に刃を握るとどんな残忍極まりない行為をすることか

SNS書き込みによって、一人の女性、木村花さんが殺された。

 

自分は7.5年、日本を脱出してドイツ・ベルリンで暮らしている。

ドイツ人の芸能人に今日電話して聞いた。彼は、とても多くヒール役をこなしている俳優だ。

こういう経験がないかと。

「ないよ、お母ちゃんからたまに『いっつも犯罪者とか、変な役ばっかりやって!いい役取れないか?』って、虐められるくらいかなー」との答え。

「たまにはいい人の役もやるし。別に役柄だけ見て、他人をいじめる人間はいないんじゃないかなあ」

 

日本だけのようだ。

 

僕はどうしても日本を好きになれない理由がここにある。

なぜ、日本人は、きちんとした真摯なコミュニケーションもとらず、

噂とか、一方的な表層的な決めつけで、

他人を傷つけられるのか?

 

自分も、そう言った経験がある。

 

なぜ、コロナ危機とかで、「救済を!音楽を殺すな」とか言ってる人が、

他人の音楽人生についてケチをつけたり、音楽を辞めさせようとするのだろうか?

なぜ、音楽を他人から奪える”特権”があると妄想できるのだろうか?

「*さんから聞いてるんだよ」って、この方は刑事のつもりか?

何年経っても陰口を叩きまくり、恫喝、脅迫を誘導。

そして、他人を管理しようとする日本人ならではのメンタリティ。

ヤクザと書いたら、ヤクザに失礼だ。今のヤクザはもっと賢くスマートだ。

こういう輩は、そのくせ、自分は弱者のつもり。

弱者と思ってるから、他人に対して何やってもいいと思っている。

そして、「日本の政府は」とか、一人前に批判するが、なんの行動もせず、世の中を変えようともしない。

「こんな日本は」とかいいながら、外に出ていく勇気もない。

はっきり言えば、勉強も努力もしていない。

 

ドイツでは、外国人、若い学生、そしてドイツ人みんなが、「自分が参加している民主主義。コロナ危機も自分たち全員で乗り越える課題だ」という意識がある。

反して、こういう、人間が(一部)いる日本が、僕は、本当に嫌いだ。

そして日本のアンダーグラウンド文化シーンには、こういった人種が長年、巣食っている印象が強い。

 

「日本人は美しい花を作る手を持ちながら、一旦その手に刃を握るとどんな残忍極まりない行為をすることか」

(帰ってきたウルトラマン「怪獣使いと少年」より)

 

残念だ。日本には戻りたくない。

 

って、書いてる俺も、そんな醜い日本人の一人だ。

だが、「世界は広い。勉強しなければならないことは、もっともっとある」と信じて生きる。そうやって生きるしかない。

 

ロックダウンのベルリンから故郷日本を想う

ロックダウン状況下のベルリンから、故郷日本を想って演奏しました。どうぞお聴きください。

僕と日本とドイツと

 ロックダウン状況下、ライブ活動は無くほぼ自宅作業しかしていないと、最近、家族/中高・大学の同窓生たち/IT企業、音楽関係の元仲間との、オンライン上での不意の再会が多い。で、日本に住んでる友達とオンライン通話していて、無神経に「なんで、緊急事態宣言が出たのに、満員電車とかで通勤してるの? 不思議でしかたない。金が無くても生きれるけど、ウイルスで死んだらもう働けない。一斉サボタージュとかできんもんなの? Fridays for Future的なノリで 」とか言ってしまって、「ドイツは勝ち組だけどね、日本はそうはいかない。満員電車に乗ってる人たちも、物凄い辛い気持ちだと思うよー」などと答えが来ると、「ああ、ごめんなさい。海外に逃げてきて7年も経つ自分は、あの日本の独特な微妙な感覚を失ってしまったのだろう。多分、ドイツに住んでる自分がそういうことを言うのは、星野源『うちで踊ろう』に動画を合わせた阿部首相と同じレベルで、今、日本で本当に苦しんでいる人たちの感情を逆撫でするだけかもしれない」と思う。”海外脱出者”の日本人が言うことは、多分全部、「大きなお世話」なんだろうな、と被害妄想的に感じてしまう。

 そんな感じで、ネガティヴ思考をコントロール出来づらい。この間、やっぱり、普通な感覚じゃない。夜も2,3時間おきに目が覚めて、ニュースを読んでしまう。ドイツのニュースよりも、日本のニュースが気になる。ベルリンに7年住んできても、やっぱり、愛おしい故郷。気になってしかたない。今のドイツと日本の違いってなんだろう? 今、僕は何をすればいいんだろう? どうせ答えは見つからないだろうが、駄文を書くことで、自分に向き合い、落ち着きたい。
 

 

▼僕の日本での人生要約


 個人ブログなので、支離滅裂に、個人的な体験を書かせてもらうが、自分は悪運だけ強い。


 自分の略歴をざっくり言うと、神戸でエリート教育施され、大学時代に新左翼活動(ノンセクト)、大学中退、東京での売れないミュージシャン生活(別に、ドイツでも大して売れてるわけじゃないが)、しかし既に子持ちで貧乏生活、エロビデオ屋の店長、IT企業のサラリーマンとなるものの6社以上転職繰り返す、離婚後、ドイツ人女性に惚れてドイツへ「脱出」、そのままバンド活動が多くて居続けている、って感じ。

 老いた母親から口癖のように、「あんた! ちゃんと、せなあかんて!!」と51歳になっても、未だに言われ続けるような人生を歩んでいるのだが、人生の転機にはいつも大きな事件が起こり、そのとき、自分は何故か比較的大きな被害を絶対に受けていない。

 大学時代(1989年)、アングラテント劇団(風の旅団)の公演を東大駒場キャンパスで行おうとしたところ、機動隊が駒場キャンパスを取り囲む事件が起き、知人友人5人が逮捕されたのが、本来その劇団公演の主催者である自分は逮捕されなかった。まあこれは公安警察の「絶対、逮捕する!」リストに僕の名前が入っているという情報があって、学友たちから、「小塚は、絶対、前面に出るな!」と言われていた。だから、駒場を機動隊が取り囲んだ日は、後ろのほうでブラブラしていた。学友たちが守ってくれたんだ、と感謝している。あのときはありがとう。この事件の後、大学に居るのが嫌になって中退してしまうのだが、その劇団関連の人脈でIT関連の仕事を貰ったり、バンドでベース奏者として演奏する機会を貰ったりして、その後の僕の人生の下地を作ってくれた。

 27歳のとき(1995年)、子持ちの売れないミュージシャンとしての生活が行き詰まり、ITエンジニアとしてサラリーマンになる以前、エロビデオ販売チェーンとして1990年代有名だった、ビデオ安売王の一店舗の店長して働いていた。当時はオウム事件などがあって、色んな仕事の面接に行っても「灘校東大で27歳、フリーターって、やっぱり、変な人なんじゃあないかと、疑わざるをえませんねえー」などと直接言われてお断りされることが十回くらいあったんじゃないだろうか。まあ、変な人であることは否定しないが、苦しい財布から元妻が出してくれた金で買った紳士服の青山の安いスーツを着て、公園で泣いた。で、唯一の働き口が、新聞広告(多摩地方のアイデムだったと思う)で見つけたビデオ安売王で、時給700円のバイトとして働き始め→社員→店長になった。精神分析を応用したエロビデオ商品の精緻なジャンル分け、売り上げ情報のデータベース化/分析、そして全アルバイトは漫画家/アニメーター志望限定で採用、ビデオのおすすめPOPをイラスト付きで描いて貰っていた(あらゆる画材は会社持ち)。その同人誌コミュニティのノリで、エロビデオ屋業界、東京ナンバーワンの売り上げをライバル店と争った。だが、ライバル店のチクリによって(これは逮捕者に警察が語っている)「猥褻物陳列罪容疑」としてオーナー、店長、チーフアルバイトの3人が逮捕された。だが、自分はその寸前に、店長職を離れ、別店舗に飛ばされていたので、逮捕を免れた(その後彼らは、無罪放免と一応なった。もちろん所謂、”無修正”を販売していたわけではないのだが、「猥褻物」の定義は法律的にも、非常に曖昧なのである)。子供が二人いるので、前歴のある父にはならなくて、よかった。そしてその後、面接で「東京でナンバーワン売り上げのビデオ屋を作った。このデータ分析技術で必ず御社をその業界でナンバーワンにする」と豪語して、普通なら高卒を雇わないソフトバンクグループに採用された(一応、その会社で、ログ解析システムをフルスクラッチで開発した)。

 数々のIT企業でのサラリーマン体験を経て、2012年、離婚後の東京一人暮らしの寂しさから、およびフリーランスとして契約していた日本の企業が、「ドイツに行っても、リモート開発をして欲しい」と言ってくれたので、経済的な不安なく、ドイツに移住することができた。そこでベーシストとして再起できて、そして、このコロナ危機のなかでも、他の国から教訓とされ羨ましがられるような環境のなかで、ドイツという国に感謝することができた。

 音楽にせよ、ITせよ、人間関係にせよ、面白くなくなったり嫌になったら、悩まず自分の感性に逆らわず、すぐ辞める、って決めているので、転職歴など比較的多い。僕はどの集団からも異端として扱われているようなコンプレックスもある。ずっと一箇所(職業、コミュニティ、国など)に留まり続けている人たちが、本当は羨ましい。そこには、僕が絶対に持っていない、深く長い心の繋がりがあると思う。それで「やっぱり、俺は何か人間として決定的に間違っているのか?」と悩む機会もあるにはあるが、「まあ、最低限、悪運強く生きてきている。それでいいじゃないか」と思っている。というか、そう思わないと生きていけない。

 

 

▼音楽は辞めれない、もし辞めたとしても何度でも甦る、ということ

 コントラバス奏者としてのコンサートは現在のところ、5月末までは全てキャンセルされている。正直、ステージに立てないことは辛い。そんなときは、音楽を辞めようとした出来事を思い出す。

 1995年、音楽の収入だけで生きてたのだが、子供も大きくなってきて、流石に生活に困っていた。同年、阪神大震災が起きた。そしてオウムによる地下鉄サリン事件が発生した。自分が幼少時代、青春時代を過ごした神戸の街が、壊れて燃えている。市役所職員の弟は東灘区で家を失った人々救済で家にも戻れない。高校時代の同級生からオウム幹部が出たり、大学時代の住処であった駒場寮の廃寮が決まったりしていた。

 

「なんか、自分にとってとっても大切で、自分を形成してきた故郷の街、学校、駒場寮などが次々と、何かしら壊れそうになってる。そんな大変なときに、僕は、コントラバスを練習している。ずっと練習してきても、上手くならないのに。妻や子供を養えもしないのに。一体、僕は何をしているんだ? こんな、美しくない音を出して!!」と、ベースを弾けなくなってしまった。ライブ活動も辞めた。師匠のレッスンにも行かなくなり、コントラバスも売り払ってしまった。でも、サラリーマンになったとき、最初のボーナスで買ったのは、また、コントラバスだった。弾けないとき、本当に寂しかった。

 2011年、東日本大震災が起きたときは、ヤフーで働いていた。当時会社があった東京ミッドタウンの揺れも激しかったし、震災対応でのいくつかの大変な仕事もあった。東京では一定時間、停電することもあった。停電中は、テレワークもできないので、真っ暗闇のなかでコントラバスを練習していた。暗闇のなかの方が、音に集中できると思った。なんだか、心がとても落ち着いた。このとき、「ああ、先の震災で僕は弾くのを辞めてしまったけど、こうやってまた弾いているんだ。弾くと、心が落ち着くからな」と思った。


▼そこそこしんどい海外生活

 一応、独り身の外国人として外国に滞在していると、いろんな大変なことがある。ベースを持って街を歩いていると「Drei Chinesen mit dem Kontrabass!! (コントラバスを持った3人の中国人♪〜ドイツの童謡)」と酔っ払いや子供たちから揶揄われるのは当たりまえ。まー、フツーに差別と言えなくもないだろうが、平均して、1ヶ月に2,3回は揶揄われる。「残念!コントラバスを持った1人の日本人じゃ、中国人2人足らんわ、差別するな、ボケ!」って、答えたら奴らは笑う。

 自営業者として、ドイツでの最初の確定申告は大変だった。大量な専門用語頻出の、納税用の書類を辞書首っぴきで理解するまで、かかりきりで1週間くらいかかった。ドイツ人の友人に聞いたりすると、「いや、俺もわからんよ。税理士に頼む方がええんちゃう?」的な反応で、「ああ、ドイツ人でも知らんのか」と安堵したが、税理士からいくら請求されるかも分からないので、自力で一生懸命書き終えた。でもちゃんとできてるか不安で、税理士に書類チェックをお願いしたら、「ああ、君は税理士いらないね。何も直さなかった。ほぼ完璧」と言われ、でも100ユーロ取られたのだが、まあ、確定申告は、とにかく、大変。ドイツの確定申告乗り越えハードルは、僕にとってとても辛かった。

 その他、コンサートとか、パーティーとか、ドイツ人しかいないような環境にいるとき、外国人もいることに気を使ってくれる人なんてまずいないので、これでもかとばっかりにベラベラと流暢なドイツ語を聞かされると、やっぱり未だに疎外感を感じざるを得ない。どこまでいっても、外国人は、本国人にとってお客さん、マイノリティーでしかないのです、悲しいけど、これが「海外逃亡勝ち組」の現実なのよね。ドイツ人と、喧嘩をするくらいの語学力は付いてきてると思うが、やはり感情的な喧嘩が始まると、絶対に負ける、というか、埋めようのないコミュニケーション・ギャップを、ただただ痛感することもしばしば。日本で暮らすより、会話、対話、交渉、議論、論争において、数十倍、神経が擦り切れる。そして、明確で論理的に語ることが求められる。日本人特有の、主語や客体を明言しない、曖昧に言ってもなんとなく理解してもらえる、なんて甘さはここでは絶対通用しない。

 そんなこんなで、何度か「あー、もうベルリン暮らし辛いー、日本に帰ろう」とか思ったりすることもあったのだが、いつも考えあぐねて最後には、「でも、日本で、一日2-3時間、コントラバスを練習できるところに住むのは不可能だよな。ライブ活動できる日本の都会の住居、狭いし、密集してるし。部屋が広くて、壁は厚くて、思いきり練習できるから、やっぱドイツがいいや。それに、いっぱいライブできて、ビール飲み放題だし。日本みたいに、演奏して自腹、ってこと絶対ないし。一部の固定客だけじゃなくて、ドイツではもっと幅広いお客さんに聴いてもらえるし」って考えて、結局、居続けている。


 ドイツで生きててよかった。音楽を続けていてよかった。そして、僕は美しい故郷(日本)を持っていてよかった、僕にも帰れるところがあるんだ、と思いたい。

 

 

▼最近書いた記事

 

ベルリン流ミュージシャンのコロナ危機の乗り越え方

 

新型コロナウィルスによるベルリン音楽シーンの危機

 

ベルリン、厳戒ロックダウン下の働き方

 

ベルリンのミュージシャン/フリーランスのための新型コロナ対策、一時援助金申請手続きはこんな感じ

私は、ITエンジニアでもあり、新型コロナの影響で完全に収入がゼロになったわけではないし、自分より先に援助されるべき人を優先して欲しいのだが、

 

* 新型コロナの影響でキャンセルとなった20コンサート

* 新型コロナの影響でホテル関連システムの開発プロジェクトの中断

 

のため収入への打撃はそこそこ大きい(見込み収入の約70パーセント喪失。。)ので、新型コロナ影響によるフリーランス/ミュージシャン救済プログラムに申請した。

 

 

 

受付はインターネット上のみとなっており、先週末に受付開始したらしいのだが、初日は申し込みが殺到、システムダウンとなったらしい。そのためか、申請するまでの行列(キュー)管理がある。私は約40万番目、ということか。

 

 

約1日待って、自分の順番が来た。これはメールでも通知される。

 

 

個人情報、アーティストとしてのWebsite, 納税番号、口座番号、新型コロナ影響で見込み収入が無くなったことなどを入力する。

 

自分は一人だけの自営業なので、援助金はデフォルトで5千ユーロとなる。あくまで無利子の借金で、2年後には返さなければならない(はず。。。返却不要との声もあり、不確定情報。)

パッケージ、SoforthilfeIは金額にもよるが、年間の無利子の借金。

パッケージ Soforthilfe II は、返却義務なし(ただし収入として申告必要とのこと。つまり、約1/5は税金として支払うことになる)。ベルリン在住テューバ奏者、岸本拓也さん、情報提供多謝!)

 

 

※正直な話、申し込み画面のリンクが多少複雑で、どれを選んだのかよく分からない。。おそらくパッケージ(SoforthilfeI, SoforthilfeII)が違ってても同じリンクにたどり着くような気がする。。流石に再申し込みして試してみることはできないが。。

Soforthilfe I = ベルリンの援助金(ローン)

Soforthilfe II = ドイツ連邦共和国の助成金

の違いのようである。

 

 

 

事前に一応、キャンセルとなったコンサート会場やプロジェクトの情報の入力が求められると想定して準備していたが、特に、実際の損失の詳細内容などについて問われることは無かった。報道どおり、”無条件の融資”、ということになる(融資されればだが。)

追記;翌日には既に口座に入金があった。Soforthilfe IとSoforthilfe IIの内訳説明は現在不明。今ではなく、しばらく経ったら、ちゃんと金融機関に、内訳詳細などの理由を聞きたい。ともあれ、自分は日本でない別の国に住んでいる、ということをしみじみと感じてしまった。

 

 

画面キャプチャを撮るのを忘れしまったが、「審査後、3日以内に口座に入金されます」というメッセージが出ておわり。

※一応、追記しておくが、ドイツの税金は高く、フリーランスなら売り上げの20〜25%、ときには30%を納税しなければない。実際、私も7年間そうしてきた。本当に苦労しながら支払った時期もあった。そうした背景を持つからこそ、こういうシステムが成り立っているのだろう、ということです。

 

 

日本でも、フリーランス/自営業/ミュージシャンへの政府への援助金要求署名運動が始まっているが、実際にこうした救済システムを実装するための参考情報として。

 

 

▼参考リンク

ドイツ政府「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」大規模支援

3/11 ドイツ文化大臣「フリーランスの芸術家への無制限の支援」を言明

1兆円の拠出も。新型コロナでイギリスやドイツなど各国が文化支援を続々発表。「誰も失望させない」

 

#SaveOurSpace

 

https://www.ibb.de/de/wirtschaftsfoerderung/themen/coronahilfe/corona-liquiditaets-engpaesse.html

 

 

 

 

 

 

ライブ演奏できないベルリンで〜Aber, Ich bleibe in Deutschland

 ベルリンにて、最後に人前で演奏したのは2週間前の(2020年)3月7日(土曜日)のことだ。すでにハグや握手を自粛する人々も多少はいたが、大抵の音楽仲間、スタッフ、観客ともハグや握手を交わして笑いあっていた。3月7日の時点では、ドイツにおけるCOVID-19感染者は684人(ドイツ連邦保健省発表)で、ベルリンに暮らす人たちにとっては、中国などで起こっている”対岸の火事”程度の認識だった、たった2週間前のこと。

 

 その次の週(3月9日〜)に入ってから、演奏予定であったコンサートのキャンセルが相次いで起こり始める。週半ばにドイツの学校・保育所などの1ヶ月間閉鎖決定、コンサートなど集会の自粛が政府から告示されてから、4月中旬までの(自分が参加している5バンド、)11コンサートが中止となった。まだキャンセルになっていない予定も3月中、4月もあるのだが、おそらく、このままだと中止になるだろう。この4-5年間は、1ヶ月に10以上のコンサートでベースを演奏することが普通な生活であり、(少ないながらも)その演奏で得たお金で生活してきた自分としては、まあ、大打撃だ。そして、今ドイツにおけるCOVID-19感染者は2万人を超えてしまった(3月21日時点)。ハグや握手もなくなった。演奏できる場所は、ほぼほぼ、閉まっている。

 

 初めは、とても悔しかった。自分がベルリンに暮らしている最大の理由は、気軽に公然で演奏ができる、ということである。それと、ハグや握手など、日本人には無い、ヨーロッパ人の暖かさ、肌の触れ合い。これら、7年を超えるベルリン生活で自分にとっては、”当たりまえ”のことだったことが、この2週間で、見事に崩れ去って、自分は目標を失い、大変人里離れた場所に一人でポツンと取り残されたような悲しみが、私を襲った。週末は、ライブハウスで演奏して、ドイツビールをしこたま飲むために生きてきたのだ。週末、一人でポツンと部屋に閉じこもってるなんて、自分じゃ無い。何をしているのだ? ここで、一人で、私は??

 

 しかし。落ち込んで2、3日経ってから、(食べるために必須な買い物以外は)一人で部屋に閉じこもっている生活も、悪くないな、いや、これも結構、いいな、と感じ始めた。まあ、7年間ずっとリモートワークでITの仕事もしてきているので、自分はCOVID-19が無くても、基本”引きこもり”社会人(ギリギリ)なわけだ。今週などは合計5ライブが中止になったのだが、その分、自主トレに時間を充てることができる。普段練習できていないバッハのチェロ組曲や習得したかったフレーズに手を出して、3-4時間悩んだり、普段忙しくてちゃんと聴くことのできなかった音楽を何度も注意深く聴くことができる。色んな素晴らしいベースラインが発見できる。ITエンジニアとしては、もっと理解したかった遺伝的アルゴリズムについて勉強できたり、今まで自分が実務で使ったことがない新しい技術を勉強することができる。まあ、せっかくの機会なのだから、そこに時間を使う以外にやることがない。この間に、新しいスキルを付けて、この騒動が収まったあと、デキるベーシスト兼エンジニアになっていたい。

 

 絶対に守りたい教訓が2つある。一つは、スティーヴン・キング原作の映画『ショーシャンクの空に』。独房に閉じ込められたアンディ・デュフレーンが「寂しくなかったよ。僕は頭のなかで、いつもモーツアルトと遊べるから」みたいなことを言う。こういう状況下において、ものすごく大切なことだと思う。自分もそういった心持を保っていたい。

 

 もう一つの重要な示唆は、ドイツの心理学者、V.E.フランケルの『夜と霧』。彼の第二次世界大戦でのアウシュビッツ体験を語ったエッセイで、2011年の福島でもベストセラーとなり、人々に、「いかに、パニックや狂気に走らないで止まることが出来るか? どうすれば自己崩壊せずに済むか?」を教えてくれる名著だ。いつ死刑になるかわからないという極限状況のなかで、フランケルは一つのトリックを発見する。

 

 私のあらゆる思考が毎日毎時苦しめられざるを得ないこの残酷な強迫に対する嫌悪の念に私はもう耐えられなくなった。そこで私は一つのトリックを用いるのであった。突然私自身は明るく照らされた美しくて暖かい大きな講演会場の演壇に立っていた。私の前にはゆったりとしたクッションの椅子に興味深く耳を傾けている聴衆がいた。…そこで私は語り、強制収容所の心理学についてある講演をしたのだった。そして私をかくも苦しめた抑圧する全てのものは客観化され、科学性のより高い見地から見られ描かれるのであった。

 このトリックでもって私は自分を何らかの形で現在の環境、現在の苦悩の上に置くことができ、またあたかもそれがすでに過去のことであるかのようにみることが可能になり、また苦悩する私自身を心理学的、科学的探究の対象であるかのように見ることができたのである。スピノザはそのエチカの中で次のように言っている。「苦悩という情緒はわれわれがそれに関して明晰判明な表象を作るや否や消失してしまうのである」(エチカ、5の3、「精神の力あるいは人間の自由について」)

(V.E.フランケル『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』、みすず書房、霧山徳爾訳)

 

 今週行われたメルケル首相の素晴らしい演説にも、同じような視点があったように思える。この状況がどれだけ続くのかわからない。いつまで、ライブ演奏できないのか、全くわからないし、不安である。しかし、以上の2つの視点を私は失わないで生きていたい。今、迂闊な行動を起こしても何にもならない。無理して他人に会う必要は無い。部屋に閉じこもり、極力他人との接触を避けつつも、寂しさに負けず、疑心暗鬼にならず、考えすぎず、自己崩壊しない時間を過ごしたい。希望をもって、楽観的に、戦略的に、自己隔離を楽しむのだ。

 

 「他のミュージシャンから、弾いて欲しい、と思われるベースラインを弾けるようになれ」と恩師は言っていた。日本では若さ故か、エゴ故か、邪心故か、それができなかった。この7年間、ベルリンの音楽家たちが、私にベーシストとしての居場所を作ってくれた。私は、ベルリンのミュージシャンシップが好きだ。「ベーシストとして誰も求めてくれなくなったときに、日本に帰る」と決めたのだ、私は。今はベルリン(私の居場所)を離れられない。

 

 まだだ、まだ、終わらんよ。

ベルリン滞在7年、今思うこと

新年あけましておめでとうございます!

 

ドイツ・ベルリンで暮らし始めてもう7年が経ってしまいました。7年と言えば、ファースト・ガンダムからゼータまでの時間。

 

「当たらなければどうということはない!」と華麗に連邦の銃撃を回避していたシャアがティターンズに撃たれて血を流すようになるまでの7年間、「若さゆえの過ち」と言っていたシャアが「これが若さか。。。」とカミーユに殴られるまでの7年間、あのアムロが「あの……無重力空間の感覚は……怖い」と飛べない籠のなかの鳥になるまでに要した7年間、その時間と同じ長さの時間を、日本から離れて過ごしてしまったわけで、「もう、今日本のサラリーマン社会に復帰する能力は、完全に無くなってしまってんだろうな」と痛感してます。

 

ドイツに暮らし始めて、アルゼンチン・タンゴバンドで演奏し始めた2014年、このブログのタイトルも『牧歌組合~45歳からの海外ミュージシャン生活:世界ツアーに向けて~』なぞと、いきがって、気合入れて改変したわけでございますが、まあ、この7年間、特に際立った”成功”なんてものはなく、ただただ、ベルリンの色んなミュージシャン(昨年数えてみたら、7年間、通算して70バンドくらいで弾きました :) )と年間100〜150ライブくらいをこなし、なけなしのギャラを貰い、同時にフリーランスのITエンジニアとしての仕事を受注しながら、相変わらず別れた家族の住む東京の住宅ローンをなんとか払いながら、暮らしています。

 

でも、まあ、昨年(2019年)は一時帰国したときに、神戸舞子と東京吉祥寺でライブができたし、5月はチェコのプラハでライブしたし、まあ、華々しい成功はないわけですが、一応、多少なりとも”世界ツアー”と呼べないわけではない生活をしていないわけではない、と、自分の小さな幸せに自己満足したいと思ってます。

 

ま、ベース弾きながら、おもしろおかしく暮らせてれば、いいや、と。まだだ、まだ、終わらんよ!

 

Photo: ©️Julia Bittermann

※昨年のクリスマスはロンドンで過ごしました。デヴィッド・ボウイのジギースターダストのHeddon Streetに巡礼しました。ああ、5年間(Five Years)よりも7年間は、長いのだなー、と。

 

昨年結成した、ベルリンの日本音楽バンド、ふなむし(Funamushi)です。聴いてくださいっ! 応援よろしくお願いします!!

 


 

それでは本年も、「小塚、ベルリンで頑張ってるらしいね」など少しでも話題にする、(極めて難しいかもしれませんが)いい噂を流すなど、陰ながらの応援のほど、何卒よろしくお願いいたします!

一時帰国します

今年の夏、6.5年ぶりに日本に一時帰国しますが、ライブもやります。皆様、こぞってお越しくださいませ。

2019年6月30日(日)神戸舞子こずみっく
ユリア・マイケ・ビッターマン(vo)、小塚昌隆(db)
16:00開場/17:00開演
phone:078 782 7263
charge:¥1000

2019年7月9日(火)吉祥寺シルバーエレファント
『ベルリン在住ベーシスト小塚昌隆の一時帰国セッション』
ユリア・マイケ・ビッターマン(vo,fl)、塚本功(g)、小塚昌隆(db)
19:00開場/19:30開演
phone:0422 22 3331
charge:¥2000+drink

2019年7月10日(水)吉祥寺まんだら2
ユリア・マイケ・ビッターマン(vo,fl)、小塚昌隆(db)
18:30開場/19:30開演
phone:0422 42 1579
charge:¥2500+drink
対バン: 飯浜ゆきこ(vo.g), ゆたにまきこ(vo.g.pf) 

ドイツのシンガーソングライター、ヨハンナ・ツォイル(Johanna Zeul)

 

 

最近、ドイツのシンガーソングライター、ヨハンナ・ツォイル(Johanna Zeul)のバンドに参加しました。2017年10月5日のベルリン・プランツラオアーベルク、WABEでのコンサート風景です。是非、見てください!

 

 

ドイツのブルーグラスバンド、Mich the Black Harlekin で活動中!

ご無沙汰してます。

最近はドイツのブルーグラスバンド、Michi the Black Harlekin での活動が一番楽しいです。



その他、ドイツでのバンドのビデオを纏めたので是非、ご覧ください!

マーシャ・ポテンパ

ドイツのシンガーソングライター、マーシャ・ポテンパ(Masha Potempa)のバンドでベースを演奏しています。2015年3月1日のフォークソング・フェスティバルからの高画質映像です。是非、見て下さい!


P.S. 近々、ブログを再開します :)
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